再燃する香港デモを日本人が無視できない理由。香港は果たして香港のままでいられるのか?
公開日:2020/6/7
5月24日に香港でデモが開催され、何千人もの市民が参加した。香港では1000人以上の人が新型コロナウィルスに感染し、現在では9名以上の人が公共の場に集まることが禁止されている。にもかかわらずマスク姿の市民が香港島の銅鑼湾などに集まり、抗議の声をあげた。
今回のデモは中国が全人代(全国人民代表大会)の場で、香港への「国家安全法」の導入を審議したことに端を発している。これが施行されると、香港の議会を経ずに中国が作成した法案により、中国側が「中国への反逆、国家分裂、反乱扇動」などとみなす行為が禁止される。このことから「香港の自治が奪われてしまうのではないか」という危惧が、香港中に走ったのだ。
香港では2019年にも、逃亡犯条例(中国本土やマカオ、台湾との間にこれまでにない犯罪人引渡し条例を結ぶこと)の改正案を巡って警察と市民が衝突。警官が催涙弾やペッパースプレーを投げつけると市民も地下鉄構内を破壊したり、中国支持者の店の不買運動を繰り広げるさまが「過激だ」として、連日日本でも報道されてきた。
昨年10月に改正案が撤回されたことやコロナ騒動により、戦いは落ち着いたかに見えた。しかしここに来て再び、くすぶり始めている。
なぜ香港の人たちは、催涙弾が飛び交う中、時に過激な手段を使っても戦うのか。小川善照さんの『香港デモ戦記』(集英社)によれば、2014年に起きた「雨傘運動」への失望が、2019年式スタイルに繋がったという。
雨傘運動とは、2014年に起きた、香港行政長官の選挙を巡り、中国政府が民主派の候補を排除する選挙方法を決定したことに抗議する市民運動のことだ。真の普通選挙を求めていたのに、民主派候補が実質的に出馬できなくなることへの抗議として、香港市民は立ち上がった。彼らは「オキュパイ・ウォールストリート」のごとく、金融の中心である中環などを占拠し始めた。この時動いたのが、2019年にも注目を浴びるジョシュア・ウォン(黄之鋒)とアグネス・チョウ(周庭)だ。ともに1996年生まれの2人をはじめとする若者を中心に、市民はオキュパイしながらも“非暴力”で運動を続け、警官隊からの催涙弾攻撃を雨傘で防御した。このことから「雨傘運動」と呼ばれるようになった。しかし警察による強制撤去や参加者の逮捕などにより、雨傘運動は2014年末に終焉を迎える。
成果を出せずに終わったことへの忸怩たる思いを、若者たちは抱えていた。小川さんが話を聞いた1人は、兄が雨傘運動に参加していたことを引き合いに出しながら、「抗議活動は、平和的にやっても意味がないことは、兄たちの雨傘運動で明らかになった」と語っている。彼は運動のためなら商店などの破壊も辞さない、勇武派と呼ばれる過激なグループの一員だ。なぜ破壊をするのかという小川さんの質問に対しては「こんなことはしたくない。でも、自分たちの未来のためだ」と答える。
圧倒的な力を持つ中国に対して「和理非(和平的、理性的、非暴力的)」だけでは抗えない。催涙弾とペッパースプレーを浴び続ける中で、若者がそう考えるのはやむを得ないのかもしれない。
ただ、香港の運動は過激なだけでも、若者だけが参加している訳でもない。ニュースではセンセーショナルな映像ばかりが目に付くものの、多くの人が「和理非」の姿勢で、自分たちのできることをおこなっている。小川さんはそんな1人1人を訪ね、それぞれ違う立ち位置で活動している彼らの、涙や怒りに丹念に触れていく。それにより「若者」や「デモ参加者」といった記号だけでは語りつくせない、香港に暮らす人たちの思いや温度が浮かび上がってくる。その切実さは「香港加油(香港頑張れ)」とこちらも言ってしまいそうになるほどだ。
だが同書によれば、時に中国を支持する側も香港を支持する側も、相手に対して酷いヘイトスピーチを浴びせることがあるという。中でも民族主義的な「本土派」(中国人の中に香港人が含まれるのではなく、「香港人」としてのアイデンティティを主張する派)は、「中国人とは相いれることはできない」と強硬な姿勢を取り、爆買いする中国人を「蝗(イナゴ)」扱いして見下す。一方、日本で在日香港人が中国への抗議行動をすると在日中国人が現場に押し寄せて罵声を浴びせるなど、中国支持側も黙ってはいない。だが戦うべき相手は体制であって個人ではない。このことを中国支持派も香港支持派も、忘れてはいけないのではないか。
とはいえ香港の運動は、中国政府が仕掛けてきたことへのカウンターをしているに過ぎない。そして「民主主義はなくとも自由がある」香港を守りたいから、彼らは声をあげ続けているのだ。
5月28日には全人代で「国家安全法」の導入が採択された。香港がこの先どうなるのかはまだ誰にもわからない。しかし香港が香港のままでいられるか、それとも中国に飲み込まれてしまうかは、日本に暮らす人にも無関係な話ではない。だからこそ、これまでに起きたことを知っておく必要がある。同書はそのための入門書と言えるだろう。
文=碓氷連太郎