五輪金メダリスト・清水宏保さんが元アスリートとして意識する「人生時間」【後編】/あの人の仕事論②

ビジネス

更新日:2020/7/5

自分らしく働き、時代の第一線を行くトップランナーたち。彼らはどんな風にして今のキャリアを手にしたか。ときには挫折も経験しながら、紆余曲折を経て現在のポジションを獲得した彼らに、“仕事とは何か?”を聞く『Indeed特別編集 あの人の仕事論』(KADOKAWA)から、「あの人」の多様な働き方や生き方、仕事に対する考えを紹介。

『Indeed特別編集 あの人の仕事論』(KADOKAWA)

清水宏保さん
写真:築田純/アフロスポーツ

株式会社two.seven 代表取締役
清水宏保さん(46歳 北海道)

 スピードスケートのオリンピックメダリストがセカンドキャリアに選んだのは介護の世界。心身を限界まで追い込んだ経験のあるアスリートが伝えるのは、人生を俯瞰し逆算する”時間の概念“だ。

前編はこちら

清水宏保さん

慣れるのに3カ月、モノにするまで3年。やりたいことから、ではなく、未来の目標から逆算し、今できることに本気を出す

北海道に戻りたい。地元に帰れるビジネスとは

 気管支喘息を抱えながらトップアスリートとして自身をコントロールしてきた清水さんは、喘息の啓発活動を積極的に行っている。

「『啓発活動を続けていくなら、もう一度医療と向き合ってみては?』とあるドクターにアドバイスされ、引退後、日本大学大学院で医療経営学を学んで修士号を取得しました。医療やリハビリの現場をたくさん見に行き、授業ではビジネスプランも作成しました。そのとき、絵にしてみたんですね。アスリートが引退→地元に戻り→子供たちにスポーツを指導→同時にケア方法も指導(スポーツ出身者が医療分野へ)→術後のリハビリ指導→高齢者の介護施設で回復や維持のためのリハビリ指導→地元に根付き→子供たちがスポーツに興味を持ち→アスリートを目指す。で、一周して戻ってくる、と。地元に根付く好循環を生み出したいと思いました」

 北海道には、元アスリートが少ない。セカンドキャリアとしてできる仕事がなく、皆東京に出たままになるらしい。

「そうではなく、地元に戻れるビジネスプランをつくれればいい。ただし、ちゃんともうかって、ちゃんと地域に貢献して、子供の支援もできるプランでないと持続性がない。ここが難しいところです」

 清水さんは、「生まれ故郷の帯広か札幌、とにかく北海道に戻りたいとずっと考えていた」と言う。

下地をつくってからでも全然遅くはない

 元アスリートの介護分野への進出は、清水さんがパイオニアだ。前人未踏の地を開拓中のため困難もあるが、「がぜん仕事が面白くなりました」と清水さん。彼の活力と、確実な実行力を支えるのは、自分で考え抜いた明確なビジネスプラン。スポーツを軸とした地元に根付く好循環を生み出したい、その輪の中に、高齢者が安心して使えるスポーツジムの立ち上げも含まれていた。

「まず、修士号を取得して医療や経営の裏付けをつくり、施設運営の経験を積んで下地をつくる。それができてからスポーツジムをやっても遅くはないと、当初から考えていました」

 元アスリートとしてスポーツジムを運営する腹はあったのだ。

「あえて順番を後回しにしたんです。さっき言った下地づくりと、ブームの流れからタイミングを計りました。2016年頃に東京のスポーツジムは飽和状態となり、出したところで埋もれてしまいます。それなら、東京より2年ほどブームが遅れる札幌に出せば、2年後の2018年に山が来る。実際、予測通りでした」

 先陣を切り2016年にジム開設。医療知識や介護経験を持つスタッフを配置し、元アスリートらしいほかとの差別化に成功した。

「スタッフの循環もうまくいっています。介護や看護の施設で経験を積んだ人をスポーツジムに配置できるからです。スポーツ出身のスタッフも多く、彼らは、今より上の領域に持っていける追い込み方を知っている。同時に、けがや治療の経験から『フォームが崩れてきましたね』『ここでやめておきましょう』と、利用者さんを止めることができる。これが強みです」

 通所介護施設と訪問看護ステーションとスポーツジム。知識と経験に裏打ちされたスタッフがいることは、高齢者に限らず、全年齢の人に喜ばれる結果になる。

未来から逆算する人生時間の概念を持て

 清水さんのお話を伺っていくと、人生の岐路ごとに”時間の概念“が現れることに気付かされる。

「アスリートは常に時間と向き合っています。例えば、新しい技術を取り入れる際、練習法に慣れるまで3カ月、自分の技術としてモノにするまで3年、アスリートとして極めるのに10年。この感覚が体にある。それと4年、五輪サイクルの感覚もあります。3年で修得した新技術を大舞台にのせるためプラス1年の準備期間ですね。仕事に置き換えても、何か一つを磨いて勝負するまで、準備期間は必要なんです。面白くない、わからない、自分には関係ないといった中途半端な気持ちだと、中途半端な失敗、中途半端な経験にしかならないですよね。ただつらいとか、何が面白くないかもわからない、というままにせず、自分で改善策を探してみる。アスリートの五輪サイクルじゃないですが、1年やそこらで結果は出ないですよ」

 40歳を越えたとき、「人生の折り返しだと思った」と清水さん。

「バリバリ働ける時間があとどのくらい残っているのか、年齢的なタイムリミットを逆算し、今しかできない目の前のことに一生懸命取り組んでいます」

 やりたいことはまだまだあるが、「時間がもったいないと判断すれば切ることもある」と言う。

「成果が出ないつらい期間は準備期間と捉え、トライ&エラーを繰り返しながら楽しいこと、面白いことを本気で探して本気でやってみる。準備期間が楽しいのは遊びだけですよ(笑)」

 アドバイスは、もう一つ。

「現在の自分と、過去の自分、周囲のすごい人。この3人を常に見比べる。ここまでよくやったと自分を褒めつつ、ほかにすごい人はまだまだいる、自分は小っちゃいなと激励する感じで。昔からやっています」

 あなたはよくやっている。だけどまだまだ伸び代はある。

「僕のセカンドキャリアも完璧じゃない。問題は山積みです。それでも、どんな経済的嵐が起きても吹き飛ばされない、しっかりと地元に根を張った会社にしたいと考えています」

 目標を定めたら”人生時間“に当てはめて逆算し、今やるべきことに集中する。元アスリートの”強い気持ち“は大いなる参考。たとえその領域に届かずとも、本気になれば近付けるはずだ。

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清水宏保 介護

Profile
1974年北海道生まれ。スピードスケート日本代表として、リレハンメル、長野、ソルトレークシティ、トリノと4度の冬季オリンピックに出場。長野において500mで日本人初の金メダルを獲得。2010年引退後、日本大学大学院で医療経営学を学び修士号を取得。2015年より弘前大学大学院にて社会医学講座の博士課程に在学中。喘息の啓発活動、テレビ出演、講演会なども積極的に行う

清水宏保さんの転身ヒストリー
1994年 リレハンメルオリンピック出場
1998年 長野オリンピックにてスピードスケート500mで金メダル、1000mで銅メダル獲得
2002年 ソルトレークシティオリンピックにて500mで銀メダル獲得
2010年 現役引退
2013年 整骨院「ノース治療院」開院(現在は譲渡済み)
2014年 通所介護施設「リボンリハビリセンターみやのもり」開設
2015年 「リボン訪問看護ステーション」開設
2016年 スポーツジム「TWO SEVEN BODY」1号店開設
2018年 スポーツジム「TWO SEVEN BODY」2号店開設
    サービス付き高齢者向け住宅「Gold Hills 平岸」開設

<次回の「あの人の仕事論」は
タレント・ヒロシさんです!>