タレント・ヒロシさんが語る“人生ソロキャンプ”――キャンプのためにアレも購入!?【後編】/あの人の仕事論④
公開日:2020/7/6
自分らしく働き、時代の第一線を行くトップランナーたち。彼らはどんな風にして今のキャリアを手にしたか。ときには挫折も経験しながら、紆余曲折を経て現在のポジションを獲得した彼らに、“仕事とは何か?”を聞く『Indeed特別編集 あの人の仕事論』(KADOKAWA)から、「あの人」の多様な働き方や生き方、仕事に対する考えを紹介。
会社を大きくするつもりはない。自分の身の丈に合わせて、手の届く範囲で幸せになればいい
タレント ヒロシさん(48歳 東京都)
自虐ネタで大ブレイクを果たした後、表舞台から遠ざかり、「一発屋」とやゆされることもあったヒロシさん。しかし、現在はソロキャンプのYouTube動画が大人気だ。華麗なる転身の裏側、そしてその覚悟とは。
(前編はこちら)
迷ったときは、最悪を想定しててんびんにかける
ヒロシさんの経営する事務所スタッフは、設立当初からマネージャー一人のみ。年々忙しくはなるが、これ以上会社を大きくするつもりはないと言う。
「会社の中によく知らない人がいて、何をやっているのかわからないという状態が嫌なんです。小さくても自分の目の届く範囲でやっていきたい。誰かに任せることが苦手で、YouTubeの動画も、撮影から編集まで僕一人でやってるんです。会社を大きくすることが悪いとは思わないけど、僕みたいに、自分のやりたいことを自分のペースでしたい人には向いてないと思う。今はこの規模で、すごく心地良く仕事ができていますよ。僕はこれを“半径5メートルの幸せ”と呼んでいます」
マイペースに好きなことだけをしているように見えるヒロシさんだが、もちろん楽しいことばかりではない。マネージャーに支払う給料や事務所の維持費など、最低限の収入は必要だ。ときにはお金のためと割り切って受ける仕事もあると言う。
「仕事内容と金額をてんびんにかけて、やるかやらないか判断します。僕は人生のいろいろな場面で、この“てんびんにかける”という方法を採ってきました。例えば、大学卒業後に入った保険会社を辞めて芸人になりたいと思ったとき。外交員をしていたんですが、人見知りで内向的な僕には全く向いていなくて、毎朝頭痛がして、本当につらかったんです。その日々と、芸人になったときの最悪な状況をてんびんにかけました。想定できる最悪な状況はホームレスだろうなと思って、だったらホームレスの方がいいと判断したんです」
そうして会社を辞め、博多で芸人として活動を開始。その後も、上京するときや独立するときなど、大きな選択は全て自分で選んできた。だからこそ、現状への納得度が高いのだろう。「自分で決める」「自立する」――独立志向の強いヒロシさんの話を聞いていると、彼がソロキャンプにハマったことは必然だったと思えてくる。
「ああ、そうですね。誰かとキャンプに行こうとすると、日程を調整したり役割分担を決めたり、食べたくないときに食事しないといけないことが煩わしくて、ソロキャンプに移行したんですよ。確かに“人生ソロキャンプ”かもしれません」
ヒロシ流キャンプ動画を世界に向けて発信
自立した人生を謳歌しているヒロシさん。2019年の秋には、なんとキャンプのための山を購入したという。
「海外のキャンプ動画を見ていると、木を切ったり大きく火を燃やしたり、日本のキャンプ場ではできないことをしていて、すごく楽しそうなんですよ。僕もやってみたくて、山を買っちゃいました。これをきっかけに、世界中の人にキャンプ動画を見てもらえたらうれしいですね」
やりたいことは無限にあると言い、少し焦りの表情ものぞかせる。
「信じられないんですけど、僕もうすぐ50歳になるんですよ。まさか自分が50歳になるなんて思ってもみなかったし、もっと言えば死ぬとも思ってなかった。でも時間って加速するんですよね。きっと、あっという間に50歳、60歳になる。だから僕はもう、好きなことしかしたくないんです」
リスクと責任を負う覚悟をもって、好きなことを仕事にし、自由をつかんできた。ヒロシさんのこれからの動きから目が離せない。
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好きなこと 自立
Profile
1972年生まれ。熊本県出身。2004年に「ヒロシです」のネタでブレイク。2015年にYouTube「ヒロシちゃんねる」を開設。ふらりと降りた駅前でおいしいものを探す『迷宮グルメ異郷の駅前食堂』(BS朝日)も人気。著書に『ネガティブに生きる。ヒロシの自虐的幸福論』(大和書房)、『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)、『ひとりで生きていく』(廣済堂出版)などがあり、『ヒロシのソロキャンプ』を近日発売
ヒロシさんの転身ヒストリー
1994年 九州産業大学卒業後、保険会社に就職
1995年 保険会社を退職し、博多でコンビ芸人として活動開始
1998年 上京
2000年 相方と離れ、ピン芸人となる
2001年 ホストのアルバイトを始める
2004年 「ヒロシです」の自虐ネタで大ブレイク
2015年 YouTubeにキャンプ動画をUP
編集者・佐渡島庸平さんです!>