青年武将がなぜ「悪党」に?『麒麟がくる』で吉田鋼太郎が怪演した松永久秀の生涯

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/31

じんかん
『じんかん』(今村翔吾/講談社)

「この人は善人」「あの人は悪人」と、私たちは無意識的に人間をカテゴライズしがちだ。そうして、自らが善人側に立っているという確信が持てた途端、徹底的に悪人側を叩く。だが、世の中には、善も悪もないのではないか。人には誰にだって善い面もあれば、悪い面もある。一面だけを見て判断することなど無意味。ましてや、偏った情報だけで、誰かを叩こうとすることなど。そんなことを思わされたのは、とある歴史小説だった。

 その歴史小説とは、今村翔吾氏の『じんかん』(講談社)。直木賞候補作にも選ばれたこの作品は、戦国〜安土桃山時代に活躍した松永久秀の姿を描き出した壮大なエンターテインメント小説だ。あなたは、松永久秀、という名を聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。最近では、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、吉田鋼太郎が怪演していることでも知られるが、もしかしたら、歴史好きでないとピンとこない名かもしれない。

 しかし、歴史好きからすれば、松永久秀といえば、「稀代の悪党」。仕えた主君を殺し、天下の将軍を暗殺し、東大寺の大仏殿を焼き尽くしたという悪行で知られ、残忍な武将というイメージが強い。だが、今村氏は、この作品によって、これまでとは異なる松永久秀の姿を鮮やかに描き出す。特に、史実では明らかになっていない幼少期を大胆に創作し、久秀のイメージをがらりと変えてみせるのだ。

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 時は、天正5年(1577年)。天下統一を目指す織田信長のもとへ急報が届いた。家臣・松永久秀が二度目の謀反を企てたのだ。伝聞役の小姓・狩野又九郎は、信長の反応に怯えながら事実を伝えるが、なぜか信長は謀反の知らせに笑みをこぼし、「降伏すれば赦す」とさえ口にする。二度も謀反を起こした男をどうして信長は赦すというのか。そして、信長は、又九郎に、かつて久秀本人から聞いたという彼の半生、久秀が九兵衛と呼ばれていた幼少期からの壮絶な日々を聞かせてやるのだった。

 両親を理不尽な形で喪い、引き取られていた寺で野盗に襲われた14歳の少年・九兵衛。多聞丸をリーダーとするその野盗に加わることになった彼は、3つ下の弟・甚助や、少女・日夏とともに、日々を過ごしていく。幼い頃に重ねた労苦は、やがて、戦のない世をつくりたいという思いの根幹になっていく。民を思い、正義を貫こうとした男はなぜ「稀代の悪党」と呼ばれるようになったのか。誰だってこの本を読めば、後に松永久秀となる九兵衛という男の生き様に魅了される。そして、そんな男を評価する信長の姿を見ていると、信長のイメージさえも変わっていく。

「言い訳はしない。俺は守るべき者のためにならば悪人にでもなる。」

 九兵衛と仲間との強い絆。胸に秘めた思い。九兵衛という男の美しい心を描いていく一方で、この本は、欲にまみれた人間の浅ましさをも描く。戦国の世を描いているようで、現代社会にも通じるような内容ばかり。特に、人間たちが、周囲を善悪に分け、悪側を徹底的に叩こうとするさまは、まさに、現代で起きているインターネット上での誹謗中傷や炎上騒ぎと重なる。

 どんな状況にもめげず、自らの考える正義を貫いていく九兵衛。いろんな人からの思いを九兵衛が受け継ぎ、その思いがさらに受け継がれていくさまに胸が熱くなる。大河ドラマのような壮大なスペクタクル。この作品をぜひ映像でも見てみたいと思わずにはいられない。普段歴史小説を読まない人でも心揺さぶられるに違いない名作。

文=アサトーミナミ