特定済み! 甲子園の土を最初に持ち帰った人物とその理由/毎日雑学
更新日:2021/1/3
身近なのに意外と知らない身の回りのモノの名前の由来や驚きの事実。オフィスで、家庭でちょっと自慢したくなる、知っておくだけでトクする雑学を、毎日1本お届けします!
この雑学では、なぜ甲子園の土を持ち帰るようになったのか、また最初に持ち帰った人物について解説します!
雑学クイズ問題
【甲子園で土を持ち帰るようになったルーツとは?】
A.昔の敗戦投手の行動
B.監督の指示
C.思い出のため
D.ヘッドスライディングの時に服に入るから
答えは記事内で解説していますので、ぜひ探しながら読んでみてくださいね!
甲子園の土を持ち帰る理由と最初に持ち帰った人物について
【夏の風物詩】
今年は特例でしたが、夏といえば甲子園ですね。高校球児達が青春を謳歌している姿を見るのは最高です。プロ野球と違い、負けたらそこで終わり、という緊張感も甲子園を一層白熱したものにし、様々なドラマを生んできました。。
そして、負けた高校球児たちは、涙を流して悔しがりながら、ベンチの前にあるグラウンドの土を袋に詰める――こんな場面は、テレビを通して見る恒例シーンになっています。
それでは、高校球児たちはなぜ甲子園の土を持ち帰るようになったのでしょうか?
【甲子園の土を持ち帰ることのルーツ】
甲子園の土を持ち帰るという行動を最初にしたのはとある敗戦投手でした。
1949年の第31回の甲子園のことでした。その大会では、福岡県の小倉北高が圧倒的な優勝候補とされていました。小倉北高には福島一雄投手という歴史に名を残すほどのエースが存在しました。
小倉北高の過去2年間の大会成績は、6回連続での甲子園連続出場を果たし、夏の甲子園も2回連続で連覇していました。更に、5試合連続の完封を果たしており、優勝の期待が高まっていました。福島投手にとっても、この大会が最後の甲子園ということになり、3連覇もかかっていたことから、強い気持ちで試合に臨んでいたことでしょう。
しかし、準々決勝の試合で打ちこまれてしまい、更に肩を痛めてしまったことから降板することとなりました。
【その後の試合展開で】
福島投手が降板した後、延長戦の末、サヨナラ負けを喫してしまいました。サヨナラ負けをしてしまった直後、福島投手はベンチを立ちあがり、ホームベースへと向かいました。
そして、しゃがみ込んで土を握りしめ、ズボンのポケットに入れたそうです。
福島投手のこの姿は、とても悲哀を誘う姿でした。大会の運営委員や観客にも、その姿は焼きついたことでしょう。
これが最初に甲子園の土を持ち帰るという行動となり、ルーツとなりました。
【福島投手本人は】
しかし、福島投手は無意識に行動をとったため、土をポケットにしまったことを忘れていたそうです。その後、運営委員から、土を思い出にしてほしいとの連絡があり、甲子園の土を植木鉢に入れて大切にしたそうです。
そして、この福島投手の話が広がって有名となり、負けた高校球児たちが甲子園の土を持ち帰るようになりました。戦後間もないころから、ずっと続いてきたんですね!
それでは雑学クイズの正解発表です、答えはもうお分かりですよね?
雑学クイズ問題解答
雑学クイズ問題の答えは「A.昔の敗戦投手の行動」でした!
まとめ
甲子園の土を最初に持ち帰ったのは、1949年の第31回の甲子園だった。
当時の小倉北高には、福島一雄投手がいて、夏の大会3連覇がかかっていた。
しかし、惜しくも延長戦でサヨナラ負けを喫してしまい、無意識のうちに甲子園の土をポケットにしまった。
その事が最初の甲子園の土を持ち帰るという行為であり、その後のルーツになった。
その後、思い出として植木鉢に入れ、大切にされたという。
※提供している情報には諸説ある場合があります。ご了承ください。
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