1945年8月15日に戦争が終わらなかったら、日本は南北分断されていた? 昭和史七つの謎と七大事件

社会

公開日:2020/8/14

『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(保阪正康/KADOKAWA)

 8月15日は終戦記念日だ。1945年のこの日、日本は戦争に負けた。同時に、明治大正昭和と続いた戦争の時代が終わったことにもなる。歴史にあまり興味がない人間でも、このくらいは知っている。しかし、詳細となると話は別で、アメリカの国力にかなわなかったからギブアップしたのだろう…くらいの曖昧な知識しかない。この曖昧さを、「えー、そうだったの!」という驚きで吹き飛ばしてくれるのが、『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(保阪正康/KADOKAWA)だ。
 
 本書は、戦中戦後の歴史的な出来事14個の事実を解説することで、政治家や官僚が「自分の出世が第一」で「無責任」で「歴史的長さで考えていない(自分の在職中での時間軸でしか政策を考えていない)」ことを追及する内容となっている。
 
 内容すべてを紹介するには字数が足りないので、ここでは終戦記念日にちなみ、「もし1945年8月に戦争が終わっていなかったら、日本はどうなっていたか?」という論点に焦点を当てていこう。

日本敗戦の流れを振り返ってみると――

 まずは、ごく簡単に太平洋戦争の流れを。日本は、真珠湾攻撃で日米戦争を始めたものの、ミッドウェーなどの海戦で負け、南洋諸島も取られ、と負けが続いていく。さらには、沖縄に上陸され、本土は空襲で焼け野原になり、勝ち目はどう考えてもない。だが、1945年7月27日と28日にアメリカが放送したポツダム宣言を、当初日本は黙殺。広島と長崎に原爆が落とされても、軍部はまだ本土決戦を叫んでいたという。結局、昭和天皇が動き日本の敗戦という形で戦争は幕を閉じた。

 もし、軍部の叫んでいたとおり本土決戦となっていた場合、日本は今の朝鮮半島のように、南北に分かれていた可能性が高いという。歴史を「もし」で考えたら、どんな空想だって可能だが、戦後明らかになった当時の資料から、本土決戦・南北分断はかなり現実味を帯びたものであったことが、わかっている。

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 まず、軍部の本土決戦とは具体的にどのような作戦だったのだろうか。それは、(1)非戦闘員である一般人がアメリカの戦車に爆弾を背負って飛び込む、(2)槍や鎌で米兵に挑む、(3)手に何もなければ急所を蹴る――以上だ。軍の上層部は、国民は皇国のためなら命など惜しまずに投げ出すだろうと考えており、命を賭する覚悟で戦えば神風が吹くだろうという精神論に酔っていた節があるのかもしれない。

 これに対抗する、アメリカの日本本土への上陸作戦はどのようなものだったのか? こちらはとてもシステマティックだ。アメリカは、日本のポツダム宣言受諾以前から、「ダウンフォール作戦」という計画を準備しており、(1)南九州から上陸し壮大な軍事基地を作り、(2)相模湾から上陸し東京を制圧して全面的な敗戦に追い込む、という予定だったという。

 さらに、忘れてならないのはソ連の存在だ。ソ連は北海道進出の準備を整えて、現在北方領土と呼ばれる4島に侵攻。北海道占領後は、東北地方にまで兵を進めるつもりだったようだ。ソ連極東軍の前進部隊は、囚人部隊が中心で、お前たちは何をやってもいいと教育されていたという。

 現実では8月15日に終戦となったので、アメリカが、ソ連の日本領進出を認めなかった。しかし、ソ連はその見返りとして、満州にいた日本兵をシベリアに抑留し、シベリア開発の労働力としたのだという。これはひとつの推測にすぎないかもしれないが、勝手な想像ではない。根拠は2つある。1つ目は、シベリア抑留に対してアメリカは日本とソ連の問題として口を出さなかったこと。2つ目は、8月15日以降もアメリカとの本土決戦を叫ぶ日本の軍事指導者たちが、ソ連を黙らせておくために捕虜の存在を無視…言ってみれば彼らの存在を利用したことだ。

 日本が南北に分かれていたかもしれない現実味に加えて、シベリア抑留者が担った意味についてもあらためて驚く。こうしたことは学校では教わらないが、教わらないということは、国や学校にとって知られたくないことなのだろうか…と変に勘ぐってしまう。

 本書は『太平洋戦争、七つの謎』(2009)と『日本を変えた昭和史七大事件』(2011)を合わせた新書だが、なぜ今この時期にこの内容が再び世に問われているのか、著者の意図を推し量りながら読むことをおすすめしたい。

文=奥みんす

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