子どもも不安を感じ取っている…。コロナ禍の今、親がすべきこと/コロナ危機を生き抜くための心のワクチン①
更新日:2020/9/2
家族、人間関係、経済、仕事、人生――新型コロナ禍の世界で、私たちは様々な悩みや心身の危機とどう向かいあうべきでしょうか? “絶望に陥らないための智恵”と“法律の知識”を、全盲の熱血弁護士が今、あなたに伝えます!
子どもの不安を取りのぞく
「日本が大変なことになっていて怖い」
「コロナにかからないか心配」
「コロナに感染したら死んじゃうの?」
子どもたちは、新型コロナウイルスが大好きな人の命をも奪う怖い病気で、「人と関わることは感染するから危ない」と理解しています。
子どもには、年齢に応じた情報を与え、今何が起きているのか、自分の身を守るために何が必要か、何ができるのかを伝えましょう。
子どもの不安を取り除く特効薬は、「自分は家族の一員である」という安心感です。
食事作りや洗濯、掃除など家事全般に家族一丸となって取り組み、声をかけ合うことで、新しい家族関係が生まれるきっかけになるかもしれません。
その時、子どものことをたくさん褒めてあげましょう。
自分は家族の役に立っていると思えると、子どもは自信を持つことができます。それは子どもの希望につながります。
部屋で子どもが一人でゲームをしていたら、親も一緒にゲームに参加しましょう。
家庭が安心できる空間であると感じたら、子どもの不安は和らぎます。
食事でもおやつでも、「おいしいね」と味覚や嗅覚を通して同じ体験を共有する。
子どもは、不安を感じた時、自らの年齢よりも少し幼くふるまうことがあります。小学校高学年や中学生になっても、母親のひざに寝転んでくることがあります。赤ちゃん返りのような状態です。
そのため、時々、子どもの手や肩など、体に触れて安心感を与えてあげましょう。
肌と肌に限らず、眼差しを向けるなど優しい雰囲気で心を通わせることも〝触れる〞という行為です。
肩や背中を撫で、おでこや頰に手を当てるなどしてあげてください。そして、優しく声をかけてください。親が、子どもの心配事に耳を傾け、慰め、うなずくだけでも子どもは安心します。
不安な感情に寄り添ってあげるとそれだけで、子どもたちは今のがんばりをもう少し続けたいと思うようになります。
親が心配を抱え、イライラすると、子どももイライラ。親ががんばっていると、子どももがんばり、親が我慢していると、子どもも我慢します。
大人もできるだけ不安やストレスを抱え込まず、夫婦や友人、相談できる相手と、電話やSNSなどを使って、気持ちをシェアし合いましょう。
小学校に入学した頃から、母は幾度となく僕に言いました。
「誠、今は目が見えているけど、そのうち見えなくなる。でもお父さん、お母さんがついているからだいじょうぶだよ」と。
目が見えなくなるなんて嘘だ、とその時、僕は思いました。
小学校3年の頃、視界に白い霧がかかるようになりました。次第に、僕は文字を読めなくなり、5年生になると、ルーペを使って『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』を読んでいました。
そして、6年生になると、急速に視力が下がり始め、夏休みが終わる頃には、光の明暗の区別がつかなくなり、外出も困難な状態になりました。
僕の眼は先天性緑内障で、完治は難しく、成人する前に視力を失う確率が高いというのです。3歳年下の弟も先天性緑内障で、その頃すでに全盲でした。
机のヘリに頭をぶつけたり、見えていたはずの看板が見えなくなり、電信柱にぶつからないと歩くことさえできない。
どうして自分は目が見えなくなっていくのか。
心に、針で突き刺されるような痛みを感じました。
ある日、理科の授業で、ホウ酸を使って実験をしました。
「ホウ酸は、目薬の原料になる」
授業中、そんな先生の言葉を聞いて、僕はこっそりホウ酸をハンカチでくるんで家に持ち帰りました。
その夜、こっそりホウ酸を目にすり込んで寝ましたが、視力は回復しませんでした。
母は、僕たち兄弟が目が見えないからといって、過保護に育てたり、特別扱いすることは一切、ありませんでした。
母は家事全般を、僕たちに手伝わせました。
おかげで、僕たちは今も身の回りのことはすべて自力でやれますし、それが生きていく上での自信につながっています。
失明したことで僕は大きな不安を抱えましたが、ひねくれたり、ゆがんだコンプレックスを抱いたりすることはありませんでした。
今となってはむしろ視力障害を持ったことで自分の弱さを克服し、根性を養うことができたのではと思います。
父は山登りを通して、僕たちに人としての生き方を教えてくれました。母は助産師で勉強家で、僕と弟の目の病気のことを熟知していました。
母は僕が読めるように、教科書のページを何倍にも拡大コピーしてくれました。
勉強だけでなく、オセロ盤に点字シールを切って貼り、線が浮き出るようにしてゲームがやれるようにしてくれました。白と黒の石にも点字シールを貼ってくれたので、指の感触でそれとわかるようになりました。
「できることは何でも自分でやりなさい」
それが僕と弟に対する母の教えでした。
完全に失明した僕に、母は包丁でリンゴの皮をむかせたり、シャツのアイロンがけをやらせたり、目が見えていた頃と変わらないやり方で手伝いをさせました。
「自分の靴は自分で洗いなさい」
と母からしつけられて、失明してからも汚れた運動靴を自分で洗っていました。
親はわが子と面と向かって話をしよう
子どもの手や肩など、体に触れて安心感を与えよう
一緒においしいものを食べて笑う
家族の一員として子どもを頼りにして、声をかけ合う