『いなくなれ、群青』の河野裕が初めて“恋愛”を描く。世界を変えようとする少女と少年の倫理と愛の物語

文芸・カルチャー

公開日:2020/8/24

昨日星を探した言い訳
『昨日星を探した言い訳』(河野裕/KADOKAWA)

『昨日星を探した言い訳』(KADOKAWA)は、人気作家・河野裕が初めて“恋愛”をメインテーマにした長編小説。といっても、ただ若者たちのキラキラした恋愛模様を描いた作品になっているわけではない。これまでにも著者は「サクラダリセット」シリーズや『いなくなれ、群青』に始まる「階段島」シリーズなどを通して、少年少女が「正しさとは何か」「本当の優しさとは?」といった問いに葛藤する姿を描き続けてきたが、本作ではさらにそうした倫理にまつわる対話に大きな比重が置かれている。これは世界を変えようとする少女と、フェアネスにこだわる少年が、対話を重ねていくことで互いを誰よりも深く理解し合い、それが恋愛という特別な感情になっていく過程を描いた物語だ。

 物語は坂口孝文という25歳の青年が、すでに廃校となった母校、制道院学園の校舎で、かつての同級生、茅森良子を待つシーンから始まる。8年前、坂口は茅森を裏切り、ふたりは関係を断った。坂口は再会を願う手紙を茅森に送っていたのだが、その文面にあった“あの日、時計が反対に回った理由”を知った茅森は、強く思う。

“――私は、あいつが嫌いだ。大嫌いだ。”

 ふたりの出会いは、中等部2年だった坂口のクラスに茅森が転入してきた14歳のときだった。茅森は自己紹介で「将来の目標は、総理大臣になることです」と宣言したばかりか、同じ図書委員となった坂口に、自分の目指すゴールは「人類の平等」とまで言ってのける。このあまりに高い理想の背景には、茅森が“緑色”の瞳を持っていることがある。緑色の目の人々はマイノリティとして差別、抑圧されてきた歴史があり、その差別的な意識や偏見は根強く残っている。茅森は社会的弱者から圧倒的な強者になることで、真の平等を実現しようとしていた。この壮大な目標実現の第一歩として、名門校・制道院初の緑色の目をした生徒会長になることを目指す茅森に坂口は協力。緑色の目の人々への差別がルーツになっている学校の伝統行事“拝望会”の改革に動き出す。さらに、ふたりは茅森の養父で映画監督だった故・清寺時生の幻の脚本「イルカの唄」を探し出そうとする。その物語の舞台“イルカの星”は、理不尽や不条理な悪意が存在しない、茅森が理想とする世界そのものだった。しかし、この脚本がふたりの関係を一変させることになる――。

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“理解できない考え方を、理解できないからと切り捨てていくなら、愛も平等もみんな偽物です”

 この茅森の言葉の通り、ふたりは大人や学友、そしてお互いの考えるさまざまな“正しさ”と衝突し、ときに感情的になりながらも、それを理解するために対話を重ねて、真摯に向き合っていく。そんなふたりの純粋でまっすぐな思いに、読者もまた問い直されるだろう。自分は価値観や前提が異なる他者とどのように向き合っているのか、と。

 差別や抑圧がなく、真の平等が実現した“イルカの星”を目指す茅森と坂口の関係は、やがて唯一無二のものになっていく。しかし、お互いを誰よりも理解していると信じているがゆえに、ふたりの関係に決定的な断絶が起きてしまう。なぜ坂口は茅森を裏切ったのか。“あの日、時計が反対に回った理由”とは何だったのか。そして、茅森の坂口に対する「大嫌い」という言葉の意味は? すべてが明らかになったとき、理屈も正しさも何もかも飛び越えて、秘めていた感情があふれ出す。そのクライマックスの切なさと激しさに、きっと胸が締めつけられるような思いがするはずだ。

 本作には登場人物のひとりが、勇気をチョコレートに例えるシーンがある。「勇気はチョコレートに似ている」「甘いだけではないんだよ。苦味も混じっている」と。この小説は、そんなチョコレートのような物語といえるかもしれない。人を愛することの甘さも、リアルな苦味もある。そして、世界を新たな視点から見るための勇気を与えてくれる。

文=橋富政彦