漢字の「呪」には2つの意味がある!? 現代人もすがる日本の呪術の由来を読み解く
公開日:2020/9/1
オカルトめいたものに、人はなぜこうも惹きつけられてしまうのだろう。この原稿を書いているのはお盆の直前だが、この時期になると妙なことに一層気になってしまう。そんな思いにふけっていたところ、手に取ってみたのが『まじないの文化史 日本の呪術を読み解く』(新潟県立歴史博物館:監修/河出書房新社)だ。
表紙のイメージからしてちょっとおぞましい1冊だが、本書を読むと日本に今なお残る“呪い”や“まじない”といった呪術の何たるかを学ぶことができる。
知らなかった、漢字の「呪」には2つの意味がある
じつは、私たちは現代でも「呪術」に囲まれていると本書は述べる。神棚にお札が飾られていたり、願掛けのためにお守りへすがったり、運勢をよくするためにラッキーアイテムを身に着けたりと、身の回りを見渡せば、多かれ少なかれ「なにか超越的な力」に頼ろうとする機会が多いことに気が付く。
これらはすべて「呪」という1字に集約されていて、言葉自体を訓読みすると「のろう」と「まじなう」の両方の読み方が当てられている。ただ、それぞれの意味を知ると性質が違うことも分かる。
本書で引用されている『日本国語大辞典』(小学館)の解説によれば、「のろう」は「恨んだり憎んだりする人に、災いがあるようにと神仏に祈る」という意味。対して、「まじなう」が示すのは「神仏や神秘的なものの威力を借りて、災いや病気を除いたり、災いを起こしたりするようにする」だが、どちらの場合も神仏へすがりながらも、「呪」という漢字1つで、災いをもたらしたり除いたりと、両方の意味が込められているのはおもしろいところだ。
歴史上の有名キャラクター、平将門も「呪詛」をかけられていた?
日本語の「呪詛」は、相手に災いが起きるように呪うことを示す。過去の文献をたどると、日本ではさまざまな呪詛がたびたび行われてきたのが分かる。
例えば、朝廷へ反旗を翻そうとした平安時代中期の「平将門の乱」を綴った軍記物語『将門記』にも、呪詛は登場する。その中では、将門の反乱に驚いた朝廷は、彼を祈祷によって打ち破ろうと神仏を頼り、陰陽道で使われる占いの器具「式盤(ちょくばん)」に、将門の形像(人形)を置いたという場面が描かれている。
また、平安時代後期の歴史物語『栄花物語』には、身近な道具が呪詛のために使われた話も残っている。この物語に登場するのは、平安時代中期に摂政・太政大臣を務めた藤原道長の子・教通の妻で、彼女は当時、寝床として使われていた「帳台」の下に「楊枝」を置くという呪詛により、出産直後に亡くなってしまったとされている。
宣誓の言葉「天地神明に誓って」の由来は?
誰かを呪い殺すなどといった怖い話は尽きないが、一方で、みずからの願いを成就させるために使われるのもまた「呪い」である。
正月や受験シーズンの神社でよくみかける「絵馬」は、形のあるものにすがろうとする表れだ。本書によれば、その起源は奈良時代以前にまでさかのぼり、本来は神仏へ馬を奉納する代わりとして使われてきた。当初は文字通り、一般的に馬の絵が描かれたものが使われていたが、時代と共に願いごとなどを書くようになり、現代へと至っている。
また、何かを誓うときに「天地神明に誓って…」というフレーズを耳にしたことがあるだろう。これもじつは、形としてあった「呪い」の名残であるという。
元々は、神社などで発給されるお札の裏面を使った「起請文(きしょうもん)」が由来で、人対人、または自分自身への誓いを立てるために使われていた。誓いを破ってしまった場合に神仏から与えられる罰を視覚化する意味もあったが、時代が経つにつれて、その役割が言葉としてだけ残るようになったのである。
ホラー映画などの影響もあるのだろう、「呪い」という言葉には常に怖ろしいイメージがつきまとう。しかし、本書を読むと必ずしもそれだけではないことがよく分かる。そして、現代でも私たちは、あらゆる場面で目に見えない力…呪いにすがっているのだ。
文=カネコシュウヘイ