【宇垣美里・愛しのショコラ】エクレアに溺れて眠りたい/第8回

小説・エッセイ

公開日:2020/9/4

 ソファにだらんと横たわり、右足は背もたれの上に、左足は床へぷらぷら。世にもだらしない恰好のまま、おもむろに手にしたエクレアをあーんと開いた口まで運ぶ。がぶりとかぶりつくまでもなく、上あごの重みでぷつりとシューが決壊し、重たみのあるカスタードクリームで口の中がいっぱいになる。ああ、なんたる幸せ。口の周りをぺろりと舐めると、チョコレートの脳髄に刺さる甘さが舌を焦がす。シューをたっぷりコーティングしていたチョコレートがついたまま。きっと今鏡をみれば、まるでひと昔前の泥棒みたいに口の周りが汚れているだろうけど、無視しよう。指も顔もべったべたにして頬張るのが、エクレアの一番美味しい食べ方なのだから。お上品に食べるなんて、もったいない。イスになんて座ってやらない。フォークを使うなんてもってのほか。私は今怠惰を貪っているのだよ。

宇垣美里・愛しのショコラ

 エクレアにずぶずぶに甘やかされながら、ぼんやり今日のことを思い出す。かけられたその時はなんとなく流したけれど、後からボディーブローのように内臓にきいてきたあの言葉。「そんなに恵まれているのに、どうして世界に怒ってるんですか?」どうしてだろうか、どうしてだろうね。好きの裏返しなんだから、素直じゃない男子の嫌がらせも笑って許してやれと言われたからかな。女の子なんだから大学行けるだけ贅沢だろうと言われたからかしら。見た目でチヤホヤされてるんだから、ちょっと変な人に追いかけられて怖い目にあうくらいしょうがないと言われたからかなあ。それでも、それらは恵まれてるから、怒ることなんてしないで笑って受け流さなきゃいけないんだろうか。そんな言葉が許される世界への溢れ出すような悲しみと、瞬時にそれに反発できなかった自分への絶望、ひっくるめて全部が鋭い刃となって心の柔らかいところをグサグサに傷つける。もう疲れていっぱいいっぱいな私は、そのちょっとした痛みだけで、糸が切れてぺしゃんとつぶれてしまいそうになる。だから、目頭がカッと熱を持つ前にもう一つ、新しいエクレアを。

 チョコレートとカスタードを体中にいきわたらせると、すこし痛覚が鈍くなる。甘くてどろどろの液体のまま、ベットに飛び込んで寝てしまおう。明日また戦えるように。次こそ言葉にできるように。寝ぼけ眼にぺろりと唇をなめる。ふき取ったはずの甘味の余韻がまだ残っている気がした。


【筆者プロフィール】
宇垣美里(うがき・みさと)
兵庫県出身。2019年3月にTBSテレビを退社し、4月からフリーのアナウンサーとして活躍中。チョコレートのほか、無類の旅好き、コスメ好きとしても知られる。週刊誌、WEBサイトでコラムやエッセイなど多数連載中。20年11月に自身初の美容本「宇垣美里のコスメ愛(仮)」を発売予定。

撮影=中村和孝(まきうらオフィス)/ヘアメイク=AYA(LA DONNA)/スタイリスト=小川未久(宇垣さん衣装)、片野坂圭子(雑貨)/編集協力=千葉由知(ribelo visualworks)

衣装協力=furuta(レースブラウス、ドレス
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)/e.m.表参道店(イヤカフ:03-5785-0760)/その他、スタイリスト私物