「無料サービスの増加」は私たちの生活をどう変える? LINEの利用価値は年間●●●万円!
公開日:2020/9/4
コロナ禍による不景気が一層深刻なものとなり、身近なところでも収入が減ったなどの話を耳にする機会が増えた。筆者は先日、久々にリサイクルショップを訪れたのだが、そこでショッキングな光景を目にしてしまった。プロ仕様の調理器具などの陳列品が、明らかに増えているのだ。外出自粛の煽りを受け、企業や事業者が所持していた大量のモノとしての財産、つまりは“有形資産”が行き場をなくしている。
外出自粛で居酒屋に行かなくなった代わりに、LINEやZoomなどのツールを利用してオンライン飲み会を楽しんだという人も多いだろう。また、テレワークの導入でGoogleをはじめさまざまなオンラインサービスを利用する機会も増えている。これらはモノとしての形を持たない商品であり、私たちはその多くを無料で利用している。
『NEO ECONOMY(ネオエコノミー) 世界の知性が挑む経済の謎』(日本経済新聞社:編/日本経済新聞出版)は、機械や工場といったモノに代わり、知識やデータなどの“無形資産”が企業や国家の利益を生み出すようになってきている昨今の視点に立ち、今後の世界経済を考察する1冊。本書で紹介されている興味深い「ある問い」を、読者の皆さんに共有したい。
「いくらもらえたらLINEを1年間やめますか」
これはある東大生が卒業論文をまとめるために約1200人に投げかけた質問。調査結果はなんと「1人あたり300万円」。指導した教授は「さすがに高すぎるのでは」と計算ミスを疑ったが、再計算しても結果は変わらなかった。無料サービスに対して実際に利用者が感じている価値の大きさについて考えさせられるデータだ。
もちろん、LINEは同様のサービスのひとつであり、利用頻度や活用法によって、感じている利用価値は人それぞれだろう。だが、このレポートに従ってLINEの利用価値は1人あたり年間300万円だといったん仮定してみよう。すると、毎日LINEを利用する年収300万円の社会人は、実質的な年収が600万円になると言い得るだろうか? そうたとえると、無形資産の価値を数字でとらえるのが難しくなってくる。
生活の豊かさを金額にたとえることは可能?
なぜ上記の仮定が我々の感覚にしっくりとこないのか? そこには、「これまでの経済的豊かさの測り方が、実際の経済活動にそぐわなくなってきた」ことが関係するという。私たちがサービスで得る「お得感」、つまり「実感している豊かさ」は、国内総生産(GDP)をはじめ従来の経済統計では測り切れないからだ。
LINEの他にも例を挙げよう。スマホの普及で私たちが撮影する写真の枚数は爆発的に増加した。InstagramなどのSNS、あるいは無料のデータストレージなど、手段を自由に選びながら、無料で簡単に利用できる。ユーザーにとっての便利さは確実に増しているが、カメラを購入したり現像したりする必要はなくなり、むしろこれによって「GDPは減る」という矛盾した結果が起こる。
一方、フィンランドの首都ヘルシンキでは、月額制で「快適な移動」を手に入れられるサービスが人気だという。自家用車の維持コストよりも安い料金で、最適ルートに合わせてバスや電車、レンタカー、シェア自転車などさまざまな移動手段を一定額で使いこなすことができるのだ。「自家用車の所持率が下がれば経済成長は鈍る」というのがこれまでの常識だったが、このサービスのユーザーは「余計なお金がかからなくなり、生活も便利になった」と、新しく手に入った豊かさを実感しているという。
こうやって具体例を見ると、本書の見解にも納得がいく。
「GDPは豊かさではなく、モノの生産量の指標にすぎない。各国はGDPにこだわり、2008年のリーマン危機後に誤った政策を選択した」
政府や中央銀行はモノの豊かさをGDPなどの数字と統計で測り、政策の根拠としてきた。しかし、目に見えない「私たち生活者の豊かさ」はGDP以外の部分に広がっている。経済の実態をどう捉え直すかによって豊かさの形は変わってくる、と本書は説く。
仕事が人工知能やロボットに置き替えられ、多くの人々が今の職を失うと予測されている。しかし、この事態も“豊かさ”を見つめ直すことにより、ベーシックインカムなどの政策が実現すれば、余暇やライフスタイル選択の自由などといった、新たな豊かさにつながるのかもしれない。
コロナ禍によってGDP成長率の大幅なマイナスが注目されているが、私たちはここで一旦“豊かさ”の本質を考え直す必要がありそうだ。
文=K(稲)