『鬼滅の刃』に学ぶ「折れない心」を作るヒント
更新日:2020/10/22
生殺与奪の権を他人に握らせるな!!
ドキリと胸に刺さる言葉だ。フィクションのセリフなのに、どうも現実味を帯びて冷や汗が流れる。おそらく「自分の決定的な何かを、信用できない他人に握らせるな!」という、誰もが嫌でも体験してきた共通理解が、切れ味ある言い回しと相まって心に響くのだろう。
テレビアニメ化からブームに火がつき、コミックシリーズ累計発行部数が8000万部を突破した『鬼滅の刃』。その愛され方は「国民的」といっても過言ではない。
この作品がこれだけ受け入れられた理由はいくつもある。個性豊かなキャラクターだとか、目が離せない構成力だとか、敵味方関係なく描かれる感情移入してやまない人間模様だとか。とにかくキリがない。
その中でもひときわ大きな理由が、冒頭のセリフでみたような、強いメッセージ性ではないだろうか。これは第一話、主人公の竈門炭治郎が鬼殺隊の水柱・冨岡義勇に「妹を殺さないでください」と懇願したとき、冨岡が放ったセリフだ。
炭治郎は鬼舞辻無惨に家族を殺され、妹を鬼にされてしまった。それでも唯一の家族を失いたくなかった。一方で冨岡も同様に家族を殺され、さらに鬼殺隊の一員になるとき、大切な仲間を失った。
過酷な運命を懸命に生きるキャラクターたちが、そのときその場面で強く交錯することで、生まれる言葉がある。その言葉にフィクションとは思えない魂が宿るからこそ、読者の胸を大きく揺さぶる。これこそ『鬼滅の刃』の魅力の大きなポイントではないか。
『「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉』(藤寺郁光/あさ出版)は、この作品で異彩を放つ言葉に注目した1冊だ。生き生きと躍動するキャラクターたちの言葉を繙くことで、折れない心を手に入れ、よりよい人生を手にするヒントを見出す。
お前はそれでいい
一つできれば万々歳だ
一つのことしかできないなら
それを極め抜け
極限の極限まで磨け
作中で描かれたように、炭治郎の仲間・善逸は6つある雷の型のうち、「壱ノ型 霹靂一閃」たったひとつしか習得できなかった。そんな善逸を指導した祖父であり「育手」の慈悟郎は、他の型を習得できずヒステリーに陥る善逸を「極限の極限まで磨け」と励ました。そしてその言葉は、蜘蛛の鬼である下弦の伍・累(るい)を打ち破るとき、強く輝く。
善逸と同じように、私も、あなたも、多くの人がそんなに器用じゃない。たったひとつのことさえ習得できず、泣いている人もいる。しかしどのようなことでも、1年、3年、5年、10年と、続けることで強みに変わり、やがて「職人」や「匠」と呼ばれる存在になれることもある。
どれだけ時間がかかっても、どれだけ挫けて泣いた日があっても、たったひとつ極めることができれば、万々歳なのだ。
泣くな
絶望するな
そんなのは今することじゃない
このセリフも第1話、冨岡が炭治郎に向けて、心の中で放ったものだ。自分の身に起きた悲劇に対し、抗えなかった非力感に打ちのめされた炭治郎は懇願して涙を流す。
しかしそんな姿では妹を守ることはできない。どれだけ絶望しても、ときには怒りの力を借りて立ち上がらなければならない。冨岡は心を鬼にして、炭治郎を強く激励した。
どんな人生であろうと、常に順風満帆というのは難しい。思わぬタイミングで大きな悲しみが襲い、立ち上がる気力さえ失うこともある。そんなとき、できることは2つだ。ひとつが、絶望に飲みこまれないうちに「今できる行動」をとることだ。どれだけ無様でも、もがいて、もがいて、生きていきたい。そしてもうひとつが、誰かに辛い思いを伝えること。あなたの隣に寄り添って、悲しみの底から立ち上がらせてくれるかもしれない。
冨岡の激励が通じて、鬼殺隊に入隊した炭治郎は、婚約者を失った男性と出会う。ところが不用意な言葉をかけたばかりに、その男性からきつく当たられる一幕がある。このとき炭治郎は、男性にこう言った。
失っても失っても
生きていくしかないです
どんなに打ちのめされようと
悲しみを克服した炭治郎だから、冨岡に救ってもらえた炭治郎だから、出てきたセリフだ。この人間味あふれる強さこそが、『鬼滅の刃』の人気の火をつけた理由ではないかと思う。
このように本書は、生き生きと躍動する彼らの言葉をひもとくことで、折れない心を手に入れ、よりよい人生を手にするヒントを見出す。
最後にもうひとつだけご紹介したい。今だからこそ、強く印象に残った言葉だ。
一緒に戦おう
一緒に考えよう
この鬼を倒すために
力を合わせよう
この言葉は、いま誰もが必要としているのではないだろうか。
文=いのうえゆきひろ