男性を不自由にし性差別へと繋がる「男らしさ」の呪い。「男たるもの」という刷り込みの重さ
更新日:2022/1/12
『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』(太田啓子/大月書店)は、DVや女性の離婚といった案件を多く受け持ってきた弁護士による著作。2人の男子小学生を育てるシングルマザーでもある彼女は本書を通じ、性差別をなくすには幼少期からの教育こそが重要だ、と訴える。
そこで着目すべきが、書名にもある「男らしさからの自由」である。「男たるもの」「男のくせに」「男らしくない」といった価値観をインストールされた男性は、時に女性より上のポジションに立つことに固執し、競争の結果でしか自分を肯定できなくなる。
過労自殺で亡くなるのは圧倒的に男性が多い、というデータもある。「一家の大黒柱」として過剰な労働を強いられながらも「助けて」という「男らしくない」ひとことが言えず、責任を一手に引き受けて自死に至る。精神を病んだ男性が精神科にかかるのは、女性に比べて遅いという統計も示唆的だ。
批評家の杉田俊介は近著『ドラえもん論 ラジカルな「弱さ」の思想』(ele-king books)の中で、ジャイアンが男らしさの呪縛を背負っていることを指摘する。映画『ドラえもん のび太の大魔境』で、ジャイアンは自分の失敗を「男らしく」背負おうとするのだが、それができずに一人で苦しむ。弱さを見せられず、陰で泣いているのだ。
モテたいという欲望や承認欲求もまた、男らしさへの歪んだ適応のひとつではないか。2008年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大も、「彼女がいない、この一点で人生崩壊」「彼女さえいればこんなに惨めに生きなくていいのに」とネットに書き込んでいた。本件は、女性にモテないという劣等感が、男らしさの呪縛と連動したケースだろう。
本書で著者・太田啓子と対談している小島慶子は、男性は自分の弱さを正面から認めづらいから、今後はその弱さを開示するノウハウこそが必要だと述べる。先出の杉田俊介は『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社)の中で、「男の弱さとは、自らの弱さを認められない、というややこしい弱さなのではないか」と記し、どうすればこの弱さをこじらせずに済むかを省察している。
漫画やゲーム、テレビのお笑い番組やドラマでも、「男らしさ」というワードは散見される。著者が子供と見ていたというアニメ『鬼滅の刃』でも、主人公が「俺は長男なんだから」と自分を奮い立たせたり、「男に生まれたなら、苦しみに耐えろ」と鼓舞したりする台詞が端々に出てくる。
こうした局面で著者は少し立ち止まって、その言葉の意味や効果について子供と一緒に吟味・検証を試みる。冒頭で述べたように、幼少期の教育こそがその後の性差別への意識に関わってくるからだ。小島慶子も、夫の世代を反面教師とし、子供たちへ性差別的な価値観が連鎖するのを防ごうとしている、と言う。
本書終盤で、「『差別に中立』という立場はない」と著者は言う。確かに、電車内でもオフィスでも、性差別や性暴力を目のあたりにしながら沈黙するのは、消極的に不正義に加担するのに等しい。弱者を守れる立場にありながらアクションを起こさないのは、数少ない「男らしさ」のポジティブな側面をみすみす放棄する行為ではないだろうか。
文=土佐有明