息子は殺人犯か被害者か——究極の選択を迫る衝撃ミステリーに悩まされる人続出!【堤真一×石田ゆり子主演・映画化】
公開日:2020/10/2
親にとって、子どもが殺人事件の被害者になってしまうことと、加害者になってしまうこと、どちらの方が辛いだろうか。親たちにそんな究極の選択を迫るような小説がある。それは、『望み』(KADOKAWA)。『クローズド・ノート』『検察側の罪人』などの著作で知られる雫井脩介による社会派ミステリーだ。累計発行部数20万部を超えるベストセラー小説であり、堤真一、石田ゆり子主演、堤幸彦監督で映画化され、いよいよ10月9日(金)に公開の迫った注目作でもある。
舞台は、埼玉県戸沢市。建築士の石川一登と、フリーの校正者で妻の貴代美は、高校1年生の息子・規士、中学3年生の娘・雅とともに平穏に暮らしていた。だが、ある日、規士は帰宅せず、連絡も途絶えてしまう。警察に相談した矢先、規士の友人の死体が発見される。行方不明の少年は3人。内2人は、この殺人事件の加害者であるらしい。規士は被害者なのか、加害者なのか。生きているのか、それとも殺害されてしまったのか。一登、貴代美、雅はそれぞれ不安を抱え、次第に家族の間に亀裂が走り始める。
たとえ殺されていたとしても、規士が無実であることを望む父親の一登。加害者であるとしても、生きていることを願う母親の貴代美…。子をもつ者は、ついつい登場人物に自分を重ねてしまうのではないか。
読書メーターユーザーたちも、父親と母親の思いに、心揺さぶられたようだ。
【「被害者であってほしい」父親派】
同世代の子どもがいる身としては、本当につらかった。正直、自分なら、息子が被害者の方が救われると思ってしまい、そう思ってしまった自分に嫌気がさし、息苦しい気持ちで読み終えました。(ゆりいか)
どちらに転んでも最悪。その振れ幅はとてつもなく大きく180度違った。究極の選択を迫られる。僕はどちらかというと父親側の考え。でも…それって “その後”の自己都合や保身なのだろうか。(納間田 圭)
父親一登の気持ちは理解出来るが、母親の貴代美の考え方には共感出来なかった。私だったら馬鹿だと言われても、絶対はないと家族や周りから言われても、息子の無実を最後まで信じ抜く自信がある。(カノン)
【「加害者だとしても生きていてほしい」母親派】
一登と雅の気持ちも解らなくはない。一生人様に顔向け出来ない人生になるでしょう。でも私は貴代美の気持ちに寄り添いたいです。家族を失う事の方が何十倍、何百倍、何千倍も辛い事だと思います。死んでしまってはもう何も出来ないんです。やり直すも何もないんです。償う事さえ叶わないんです。(ぬぬ)
息子を持つ母として、貴代美の気持ちが痛い程わかりました。目を離したのはわずかなつもりでも、子どもは信じられないほど遠くに行ってしまうという貴代美の気持ちに共感しましたが、子どもが成長すればする程四六時中付いて回る訳にもいかないし、親に見せる顔と友達に見せる顔も違いますよね。自分の子を信じるしかないのかと。(じゅんママ)
私だったら貴代美と同じようにどんな形であれ生きていて欲しいと思うだろう。息子を信じればこそ、加害者であっても絶対それには訳があるはずだと。でもそれは被害者にしたらきれい事でしかない。一登や雅に共感する部分もある。覚悟が必要だと話した母とのシーンに涙し、その後の貴代美を頼もしく思った。(mari)
「どちらの気持ちもわかって難しい…」派
ずっと読みながら自分ならどう思うのか考えていた。犯罪者としても生きていて欲しいと思う気持ちはもちろんある…けどもう1人の子どもを守らなきゃという気持ちも…そして自分たちの暮らしも。答えなんてでない。ただそういう状況に置かれないで生きていきたいと願うだけ。(よしりん)
犯罪者でもいい、生きていてさえくれれば、という母親の気持ちは良くわかる。ただ娘もいる。娘がこの先犯罪者の妹と烙印を押され生きていかなければならないのかと思うと、やっぱり一概に生きていてと言えないのかもしれない。難しい。(さっこ)
親たちの辛く苦しい「望み」が心に突き刺さる。もし、あなたならば、どんな思いを抱くのだろうか。すべての親たちに読んでほしい衝撃と感動の一冊。
文=アサトーミナミ