分かった気にさせる“マジックワード”の効力とは?『日本語を、取り戻す。』から考える!
更新日:2020/10/14
コラムニスト・小田嶋隆氏の著作『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房)は、ここ数年の政治やメディアの動向に迫った時評的な内容だ。表紙が安倍元総理であることからも分かるように、安倍政権に対する違和感を巧緻な筆致で描いた労作である。ところがこれを書いている時点で安倍総理は辞任、菅総理に交代した。ゆえにタイムリーな本ではなくなってしまったが、安倍元総理の成したことを総括するという意味ではいい機会だろう。
ただし、政治の専門家ではない小田嶋氏は、安倍政権の個々の政策について深掘りするわけではない。小田嶋氏は「日本を、取り戻す。」という安倍元総理のスローガンをもじった書名からも分かるように、彼が述べてきた言葉に注目し、その中身のなさに容赦なく矛先を向ける。
「日本を、取り戻す。」というスローガンで掲げられている「日本」は具体的にはどんな日本なのか? また、「取り戻す」というのは何を取り戻そうというのか? どんな日本を理想として描いているのか? 言葉の受け手である国民はもちろん、マスコミにも、安倍自身にも分かっていなかったのではないだろうか。
そして、この空虚さを体現しているのが「アベノミクス」というスローガン。小田嶋氏はマスコミのアンケートで「アベノミクスの成否についてどう考えるか?」と聞かれ、「大成功だと思いますよ」と答える。
小田嶋氏は「だって記事を書く人たちがアベノミクスという言葉に乗っかった企画を立てている時点で、安倍さんの狙いは大当たりじゃないですか」と答えた。安倍支持と安倍不支持がバランスよく共存するために、小田嶋氏はアベノミクス否定派として呼ばれたのだろうから、マスコミ側は狼狽しただろう。実際、この回答は記事にならなかったそうだ。
著者は政治の専門家ではないから、安倍元総理の経済政策が成功だったかは、正直よく分からないという。ただ、「アベノミクス」というスローガンが独り歩きし、テレビや新聞でも喧伝されることによって、結果的にその中身は検証されず、具体的にどんな経済政策だったのかは隠蔽されてしまった、と言う。この小田嶋氏の指摘は実に鋭い。
もっとも、政治におけるスローガン至上主義は安倍元総理に限ったことではない。2019年の統一地方選挙の各党のスローガンは、「令和デモクラシー」(立憲民主党)、「支えあう社会」(社民党)、「希望と安心の日本を」(共産党)など、具体的な政策を欠いている。中身のない器というべきか。
自分は政治の専門家ではない、という立場を崩さない小田嶋氏の姿勢は真摯で誠実だ。そして小田嶋氏はそれと似た例を、海外の著名なサッカー・チームの監督のコメントに見たという。記者が監督にコロナウイルスについての考えを質すのだが、それに対する監督のコメントが面白い。要約すると「有名人だからといって専門外の問題に素人の私を質問する意味が分からない」というもの。これまた誠実そのものであり、快哉を叫びたくなる回答だ。
ちなみに、菅総理が着任したのちに掲げたスローガンは「自助・共助・公助」。なんとなく分かったような気にさせる、という意味では安倍元総理と似てはいないか。ともあれ、スローガンよりも問題は中身の政策――。安倍政権から学ぶべきことがあるとすれば、これに尽きるだろう。だがすぐに忘れてしまうのが日本国民。本書の帯には「あえて、ムシ返すことにする!」と大書されている。ヒキのある言葉に惑乱されないためにも、何度でもことあるごとに「ムシ返す」ことは重要だ。
文=土佐有明