執念のドキュメンタリー番組制作の裏側!! “車上生活”取材から浮かび上がってきたモノとは
公開日:2020/10/10
私が本を読む愉しみの一つは、意外な出逢いがあること。読む前に抱いていたのと違う内容にガッカリすることもあるけれど、新鮮な驚きと興奮に満たされることもある。『NHKスペシャル ルポ 車上生活 駐車場の片隅で』(NHKスペシャル取材班/宝島社)はまさに後者だ。放送した番組内容をまとめただけではなく、「車上生活」という社会問題を明らかにするとともに、事実を報道するドキュメンタリー番組の裏側が記されていた。
番組の編集と全体の構成を担当した丸岡裕幸ディレクターによれば、取材のキッカケとなったのは、400字詰め原稿用紙1枚にも満たないネット配信の記事だった。
「車に遺体放置疑い 58歳女逮捕 92歳母親か」(産経新聞WEB版2010年8月20日)
容疑者は27歳の長男と、死亡した母親の3人で車上生活をしていたようである。その背景に幾つもの疑問が浮かんだ丸岡氏は、いつもより早めに出社すると地方記者を約100人統括する上司に声をかけ、まだ番組の輪郭さえ固まっていないゆえに、しどろもどろになりながら熱意だけで意義を説明し番組制作の了承を取り付ける。
不確かな企画の立案、データが存在しない車上生活者
本書が番組の裏事情が分かる構成になっているのは、番組そのものが「あえて過程から記録することを、初めから念頭に置いた」のとも関係しているだろう。疑問を取材対象者に投げかける生々しさを記録したいのと、インタビューによるテレビ取材では「非日常」を切り取ったものとなってしまうから、自然発生的な会話をそのまま撮影したいという丸岡氏の熱意そのものでもある。しかし、取材開始早々に基本的な問題にぶち当たってしまう。それは、車上生活者に関するデータが存在しないことだ。当初は、問題の根底にあるのは貧困だと考えていたが、ホームレスの概数調査を厚生労働省から委託されているNPOなどでも把握していなかった。そのため、大きな駐車スペースがあり、トイレや水道を無料で開放している「道の駅」への取材を始めた。
台本は映像を見たあとに書き始める、「車上生活=可哀想」ではない
そうして始めた取材の過程で、「なんらかの事情を抱え、やむを得ず車上生活を選ばざるを得なかった人々」としていた定義を、「道の駅などで、車の中で暮らさざるを得ない人々」に改めたそうだ。定義が必要なのは、レジャーで「車中泊」している人たちと区別するためなのだが、それでも亡き妻と各地を旅した思い出の詰まっている車での生活を「自ら選んでいる」という人もおり、それを「暮らさざるを得ない」に含めて良いものか。丸岡氏は、「取材前の問題意識は、往々にして間違っていることが多い」と述べ、台本は映像を見てから初めて書くようにしているのだとか。だから先の改めた定義においても、そこには「他の選択肢もあるが、結果的に」という意味合いが込められている。
取材映像ゼロでも迫る放送日、支援者と取材者の違い
こうしてまずは、11月中旬に30分枠の『クローズアップ現代+』の放送にこぎつけ大きな反響を得た。しかし、取材開始から放送までの期間が1ヶ月だったため丸岡氏が、「一部しか調査できていないまま放送せざるを得なかった」ことに忸怩たる思いを抱いていたところ、プロデューサーから翌年の2月に『NHKスペシャル』として放送するゴーサインが出たという。ところが、年が明けた1月下旬の時点になっても取材映像が揃わなかった。突撃取材と違って、取材相手との信頼関係を築いていかなければならないからだ。
さらにそれぞれ事情が異なり、たとえば身重の奥さんを支えるために会社の欠勤が増えて退職したことから、家賃を払えずに車上生活になった人など、支援が必要なケースも少なくない。そういう場合には支援団体の人との同行取材となり、焦る取材者とは対象的に支援者は本人が自ら支援を希望するのを待つ姿勢であるため、その状況に横から口を出したり、邪魔するようなことになってしまったりする訳にはいかないのは当然であろう。
カットしたシーンと復活したシーン、車上生活は社会問題なのか?
完成品を華やかにお披露目する映画作品の「試写」と違い、ドキュメンタリー番組はスタッフが集まり試写をしては議論を繰り返す。上司の意見を取り入れれば良いかというと、「オレに言われたとおりに編集して、どうするの?」と怒られることさえあるという。何故なら、番組の最後に流れるエンドロールは「誰が責任を負うか」を公言するものでもあるからだ。今回の場合は、亡くなった妻との思い出から車上生活を選んだ男性が、はにかむシーンをカットした。妻への深い愛情を感じさせる「いいシーン」ではあるが、同時に「家賃が払えず」という理由もあり、並べると視聴者が混乱してしまうという判断からだった。そのため一度は、妻と死別したというくだりもカットしたものの、放送直前の7回目の試写で、男性が妻の遺影を見せるシーンを復活させ、「死別した」というナレーションも一言添えたそうだ。目に見えるものが事実だとしても、その事実の裏にまた隠れた事実があるのだと、忘れやすいアタリマエのことを思い出させてくれる一冊だった。
文=清水銀嶺