『こち亀』社会論がおもしろい! 1976年から2016年まで定点観測したマンガの偉業とは?
公開日:2020/10/17
1976年から2016年まで連載された『こち亀』を通読すれば、その期間、すなわち昭和のラスト5分の1と平成の大半に存在した、日本社会の大衆文化、世相、政治経済すべてがキャッチアップできることになる。
上記は『『こち亀』社会論 超一級の文化史料を読み解く』(稲田豊史/イースト・プレス)の第0章「「浮世絵」としての『こち亀』」にあった文章だ。
同書が主眼に置いているのは、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』という国民的漫画を「その時代の生活、風俗を知るための資料」として読み解くこと。ありそうでなかった切り口の『こち亀』本であり、著者が『こち亀』の200巻を通読して抜き出した、『こち亀』の時代を映すエピソード・セリフを読むだけでも非常におもしろい1冊だ。
たとえばコミックス72巻掲載(『週刊少年ジャンプ』の連載では90年掲載)の回では、両津が父親の銀次に「企業が銀行に一億あずけると、利子だけで年間800万円だよ!」と説明している。「当時は銀行に預金するだけで年利8%という超高利回りの時代だった」ということが分かるエピソードだ。
また90巻(雑誌掲載は94年)の回では、パトロール中の両津が外国人の道案内のため、PHSとハンディFAXをケーブルでつなぎ、地図をプリントアウトしているという。『こち亀』には時代時代の“最先端ガジェット”が頻繁に登場するが、94年はこんなものが最先端だったのか……としみじみしてしまう話だ。
そして本書は、こうしたエピソードを提示するのみにとどまらず、そうしたエピソードや登場人物に一歩踏み込んだ分析を加えている点がおもしろい。
たとえば著者は、両津勘吉という人間について、「2:6:2」の法則の「6」に位置する大衆の声の代弁者であると分析。「大衆から情緒的に支持される当代一のポピュリストなのかもしれない」と書いている。
なお『こち亀』で「2:6:2」の法則の下の「2」に位置するのは、小馬鹿にされがちな暴走族など。上の「2」に位置するのは「軟弱で金持ちの若者」で、こちらも作中では長く揶揄の対象になってきた。
そして著者は、『こち亀』が時に舌鋒鋭いクリティカルな指摘を行う漫画だったとしつつも、「『多数派に属する安全地帯<6>から逸脱者<2>を嗤う』ことで読者を安心させる“守りの構造”を保ち続けた」と喝破する。
この読み解きは非常に納得のもので、そうやって過剰に大衆に寄り添う姿勢は、『こち亀』の人気の源泉にもなっていた。
一方で『こち亀』は時代に寄り添い続けたがゆえに、今の時代から見るとアウトの表現や描写も非常に多く残している。「女はすぐに感情的になる」(11巻)、「男が掃除するなんて世も末だ」(22巻)、「女なんか創造力がねえんだから」(46巻)といったセリフに表れる、男性優位主義や旧来的なジェンダー観はその典型だ。
なお著者は、こうした『こち亀』の表現の“ポリコレ違反”を糾弾もしくは擁護することが目的ではないとし、以下のようにも書いている。
言うまでもないが、描かれた時代に『こち亀』だけがこうだったのではない。ほとんどのコンテンツが、言説が、世の中の「ふつう」が、こうだったのだ。『こち亀』は律儀に、正確に、世の中の「ふつう」を、他の世相反映ネタと同様、無邪気にトレースしただけだ。
(『『こち亀』社会論』より)
そうやって良くも悪くも時代を映し続けた『こち亀』だったが、時代に先んじていた部分もあった。それがサブカルやホビー等を中心としたポップカルチャー(大衆娯楽)の評価だ。
著者はその象徴的なエピソードとして、89巻の「活字V.S.漫画論争」(雑誌掲載は94年)を紹介。絵崎コロ助という大学教授の「私も漫画を愛読しておる」というセリフをコマとともに引いている。そして「当時、絵崎の言葉に励まされた文化系少年、サブカル者――80年代の教室の隅で脚光を浴びなかった小中学生たち――がどれほどいただろう」と書いていた。
なお筆者もこのエピソードと絵崎教授の言葉は強く印象に残っており、その言葉に励まされた1人だった。『こち亀』を読んできた人は本書を読むことで、そうやって自分が知らぬうちに『こち亀』から受けてきた影響も思い出すこともできるはずだ。
文=古澤誠一郎