なぜ“ブラック企業”と指弾された? 吉本興業かつての敏腕社員が語る裏事情

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公開日:2020/10/27

吉本興業史
『吉本興業史』(竹中功/KADOKAWA)

『吉本興業史』(竹中功/KADOKAWA)は、創業100年を超える吉本興業(以下、吉本)の歴史や裏事情を簡潔にまとめた新書である。著者の竹中功氏は5年前まで吉本で「伝説の広報」として社に貢献したキレ者。お笑い芸人の養成所であるNSC(吉本総合芸能学院)の設立に関わり、吉本の広報誌の編集長として活躍した 。

 つまり「中の人」の綴る吉本史なわけだが、内容は赤裸々な告白やスキャンダラスな事件ではない。吉本の創設から現在に至るまでの通史をひもといた良書である。

 吉本の歴史は戦前に遡る。1930年の「萬才座長大会」 は、入場料を払えば投票券が与えられ、お客さんの投票によって芸人の番付が決められる。つまり、今の「M-1 グランプリ」の先駆けだったと著者は言う。あるいは、劇場で落語のあとに女性が肌を露にして安来節に合わせて踊るショーもあった。安来節では、踊りが巧い子や、より可愛い子らをスカウトして、複数のチームを組む。これも、今で言うアイドル商法を予見したようだと著者は説く。

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 そして、ラジオやテレビが普及してきた1950年代には、メディアをどう活用するかが論点となった。吉本は最初、ラジオで演芸を流したら、お客さんに劇場に来てもらえないだろうと踏んでいた。だが、実際にラジオで流れるとお客さんが劇場に押し寄せた。メディアとどういう関係を築くべきかは、この頃から問題になっていたのだ。

 競合他社とのエピソードも面白い。戦前に話し合って「演劇は松竹、演芸は吉本」という取り決めにしたはずが、松竹が吉本の芸人を片っ端から引き抜いてゆき、裁判沙汰にまでなった。ゆえに、ダウンタウンの松本人志の映画が松竹の配給で公開された時は、かつての因縁に決着がついた感があったという。

 なお、よく言われることだが、大阪では勉強やスポーツが優れている子より、他人を笑わせられる生徒がクラスの人気者になる。というか、そういう土壌は吉本があったからこそ培われた、とも言える。そして、そんな人気者たちが集まったのが82年に設立されたNSC。当時は漫才ブームが栄華を極めており、人手が足りなかったのだ。NSC第一期にはダウンタウンやトミーズ、ハイヒールなどを輩出し、その後も多士済々の芸人を送り出している。

 また、中世から興行者とヤクザ(テキ屋や暴力団)との繋がりが認められていることは一部では有名な話になっているが、吉本でいうと、2011年に島田紳助の不祥事が発覚し、彼は芸能界から引退した。この出来事は、著者が言う吉本が芸人を「家族」として扱ってきた歴史が、霧消化しつつあるということかもしれない。

 元々吉本では、勢いに翳りが見えた芸人を簡単に切り捨てるのではなく、なんらかの仕事ができるように配慮してきた歴史がある。芸人に対して甘くはなくても、再チャレンジの機会を与えてきたのだ。吉本が好きな芸人が残り、吉本は彼ら彼女らの成長を愛情をもって見守る。これまでずっとそうした関係が続いてきた。雇用する側とされる側、という関係ではなく、「家族」。著者はその両者を結びつける紐帯が緩んでしまったのではないか、と指摘する。

 著者は最終章で、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を引用し、今後の吉本の行方を案じている。著者は闇営業事件を契機に、吉本が「家族」として再び原点に立ち返るべきだ、と考えているのだろう。つまり、「家庭内不和」が二度と起きないような強い絆で結ばれた「家族」になるべきだと。この提言が吉本の上層部や芸人たちにも届くことを期待したい。

文=土佐有明