イスラム教により強力な宗教国家となったアラビア半島。対抗するキリスト教は東西分裂を強いられた/365日でわかる世界史⑤

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/3

学校の授業や受験勉強で頭に詰め込んだ知識ではつかみきれなかった、世界史の全体像が見えてきます。1日1ページずつ読めば教養としての世界史が身につく1冊から、10ページでわかる世界史の大きな流れをご紹介します。

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」
『365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(八幡和郎/清談社Publico)

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」

通史 10ページでわかる世界史の流れ⑤
イスラムの拡大がもたらした激動

 三大宗教のうちイスラム教は、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ自身が強力な宗教国家をアラビア半島につくりあげた。そのために、政治や法律を含む社会のあり方に、より強力な影響を与えることができ、キリスト教も強力なライバルの出現への対応を迫られたが、それをめぐる温度差で東西の教会が分裂することになった。

 イスラム教出現の前史はサーサーン朝ペルシアの隆盛である。ローマ帝国は一時期にはメソポタミアまで版図に入れたが、少し無理があるのでトラヤヌス帝は撤退した。そのあとに3世紀になって強力な帝国を築いたのは、ゾロアスター教を国教とするサーサーン朝ペルシアである。

 一方、ローマ帝国では313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、首都をコンスタンティノープルに移して東方対策を強化し、サーサーン朝ペルシアと死闘を繰り広げ、ローマ皇帝が捕虜になったこともある。6世紀にはサーサーン朝ペルシアとローマ法大全をまとめたユスティニアヌス大帝を出した東ローマ帝国がいずれも全盛を迎えた。

 しかし、サーサーン朝ペルシアでは、マニ教などの試みはあったが、古い宗教から脱皮できなかった。

 この両帝国の対立でシルクロードが機能不全となるなかで栄えたアラビア半島からキリスト教の改良版というべき新宗教を持って現れたのがムハンマド・イブン=アブドゥッラーフで622年にメディナに聖遷(ヒジュラ)し、実質上のイスラム国家を建国した。

 このイスラム帝国は651年にサーサーン朝ペルシアを滅ぼし、あっという間に地中海の南側を進みイベリア半島まで手に入れた。東ローマ帝国はコンスタンティノープルを死守したが、イスラム教対策として偶像禁止など純化路線に傾かざるをえなかった。

 このことは西ヨーロッパの土俗信仰と融合しながら現実路線を歩んでフランク王国と協力しながら西ヨーロッパの秩序維持を進めていたローマ教会と相容れるところでなく、教会の東西分裂を招いた。

 また、この時期にスペインから北上するイスラム勢力を東ローマ帝国に頼ることなく撃退したカロリング家からカール大帝が出て西ヨーロッパの再建が始まる。

 

教養への扉 イスラム教は仏教やキリスト教以上に国際性があり、さらに、政治、社会、日常生活の規範となるものを具体的に備えていた。国家というものが成立していないところでも、イスラム教の流入によって宗教的な権威を持った君主のもとで初めて国家ができるのである。一方では、中世社会の温存につながる宿命でもあった。

<第6回に続く>