ドイツ三十年戦争終結後のウェストファリア体制が、近代主権国家体制の枠組みを確立させた/365日でわかる世界史⑦

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/5

学校の授業や受験勉強で頭に詰め込んだ知識ではつかみきれなかった、世界史の全体像が見えてきます。1日1ページずつ読めば教養としての世界史が身につく1冊から、10ページでわかる世界史の大きな流れをご紹介します。

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」
『365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(八幡和郎/清談社Publico)

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」

通史 10ページでわかる世界史の流れ⑦
近代の始まりとなったウェストファリア条約

 ルイ14世が偉大な国王だということが日本人にはなかなか理解されていないようだ。ヴェルサイユ宮殿を訪れる日本人観光客は多いが、その建築や庭園の見事さには感心しても、ルイ14世の時代の宮廷生活を、国民に経済負担をかけての贅沢と批判する人が多い。だが、近代の国家と社会をつくるためにこの王様が貢献したことは多く、まさに「太陽王」というにふさわしい。

 私たちが生きている近代以降の世界は、「すべての人類がどこかの国民であり」「国民はそれぞれの国家の枠内で権利と義務を持ち」「海外とのやりとりは自分の国を通してしかできない」「すべての国家は対等の存在である」ということを基本原則として動いている。

 こうした秩序を、「ウェストファリア体制」と呼ぶのだが、この条約はドイツ三十年戦争という宗教戦争を終結させるための条約(1648年締結)だった。そこに盛られた原則が、近代国際法の枠組みを確立したものとされている。

 この条約が結ばれたのは、ルイ14世が4歳で即位したばかりのころで、この路線を引いたのは父であるルイ13世のもとでの宰相だったリシュリュー枢機卿だ。ルイ14世はヴェルサイユ宮殿にフランス国内だけでなく、ヨーロッパ中からその魅力に引かれる人々を集め、外交においても大きな力となったし、貴族たちが城館に籠もって反乱するたびにかかる軍事費や人命の喪失に比べれば贅沢は安いものだった。

 ヨーロッパ各国は封建制度だったので、諸侯の力が強く、国家的なまとまりは弱かったのが、このルイ14世をひとつの模範として絶対主義国家に変わっていき、プロイセンやロシアも近代的な大国に成長し、その延長線上に近代国家が生まれたのだ。

 同じ時代に英国では、話し合いでの合意づくりを尊重する伝統を生かして立憲主義が芽生え、また、産業革命や海外での生活に抵抗感を持たない国民性も相まって世界の覇権を徐々に確立し、とくにインド全土を勢力圏に組み込んだ。

 一方、中国は清朝の初期に康煕帝らの名君が続いた。国際的に閉鎖的ではあったが日本ほどでなく、たとえば、新大陸由来の新しい作物も導入され国民の生活は向上した。少なくとも江戸時代と同時期の清朝は江戸幕府よりかなり高水準だった。それでも、西洋諸国の進歩に鈍感だったことはのちに大きなつけを払うことになった。

 

教養への扉 ウェストファリア条約が結ばれたときは、日本は鎖国をしたばかりで、こうした考え方が世界を律するようになったことも知らずに2世紀を過ごして、不平等条約を押しつけられることになった。

<第8回に続く>