夫が突然「植物状態」になったら…介護する側への無自覚で残酷な“他者の視線”にどう向き合う?
公開日:2020/11/1
ある日突然、夫が、妻が、家族が倒れてしまったら、そしてもしそのまま寝たきりになってしまったとしたら…あなたはそんな未来を想像してみたことはあるだろうか。
自分には関係ないと思うかもしれないが、実は誰にでも起こりうることだ。働き盛りの夫が急に倒れて植物状態になるという現実に直面した「妻」による手記『夫が倒れた! 献身プレイが始まった』(野田敦子/主婦の友社)は、そんなシビアな現実を本音で描く1冊。圧倒的な現実の重さの中で妻がくださねばならない決断のひとつひとつが「こんな場面で、アナタならどうする?」と嘆きにも似た鋭い「問い」をつきつける。
著者の野田さんの夫は、ある日、彼女が犬の散歩から帰ると自室で昏睡状態で倒れていた。救急車でICUに運ばれて発覚したのは、脳内出血によって脳ヘルニアを生じ手術をしても高い確率で植物状態になるという重い現実だった。呆然としながら手術に同意した野田さんは当時をこう振り返る。
「この約5カ月後、夫には、遷延性意識障害(植物状態)の確定が下された。以来、何度も繰り返し考える。あの日、あの小さな部屋で、手術承諾書に署名しないという決断は、あり得たのか。選択の余地はあったのか。私がボーッとしていたせいで機会を逃してしまったのではないか。(中略)夫は、このような状態で生きることを決して望んでいなかったはずだ。長い夫婦生活、私なりに夫の意向を尊重してきたつもりだったが、最後の最後、最大の正念場でその意思を見殺しにしてしまった。生命の基本機能だけを救い、彼らしさのすべてが死んでしまうのを黙って受け入れたのだ」
誰にも本当の正解などわからない。確かなことは、その「問い」と「後悔」を宙吊りにされたまま、日常はどんどん過ぎていくということ。そして足元から崩れ落ちそうになる中で必死に自分を立て直しながら、かすかな希望を持っては打ち砕かれながら、それでも野田さんは夫の介護に真剣に向き合い続ける。
絶望の深さや介護の苦労はもちろんだが、本書で特に印象的なのは介護する立場にいかに「他者の視線」という圧がのしかかってくるかということだろう。たとえば「家で介護することが最良の幸せ」と思っている人も多いかもしれないが、それが本当に幸せかどうかは状況による。だが周囲の視線はおかまいなしに「家族なら妻なら○○すべき」と無言の圧を与えてくるのだ。
野田さんはいつも心の奥で「どんな感情を抱くのが人間として、また妻として自然なのか。正しいのか。許されるのか」と問い続けながら、自分の生活ごと倒れてしまわないために「施設での療養」を選んだ。そして自分自身の「日常」をちゃんと過ごしていけるように、夫の荷物を整理して家をリフォームした。無自覚で残酷な(むしろよかれと思っていることも多い)他者の言葉に余計に傷つけられないように、心の奥で悪態をつき「上手なうけ流し方」も体得した。本書のタイトルの「献身プレイ」という揶揄したような表現にも、現実の重みに立ち向かう自分を客観的に見つめる冷静さを失わず、せめて自虐で軽くしようとする強い意思がにじむようだ。
野田さんの姿を不誠実だと批判する人がいるとしたら、元より「正解」なんて誰にわかるのかと問いたい。介護当事者が自分の人生の中で選んだ答えこそが「最適解」であり、他者はその事実をうけとめ見守るしかない。あとがきに野田さんは本書の執筆理由を「介護の優等生になれずに罪悪感と自己嫌悪に苦しむ『私のような人』に届けたい」と書くが、「尽くす自分」に共感を求めるのではなく、「他人にどう思われようと自分を守った」ことをあえて晒す強さに心を打たれる。
戸惑い立ちつくしたときにどう前を向いたらいいのか、本書は多くの人の心の備えになってくれることだろう。
文=荒井理恵