33歳、人生の崖っぷちからプロ棋士を目指す男の挑戦。『罪の声』作者・塩田武士のデビュー作『盤上のアルファ』

文芸・カルチャー

公開日:2020/10/29

盤上のアルファ
『盤上のアルファ』(塩田武士/講談社)

 山田風太郎賞受賞作『罪の声』、俳優・大泉洋を当て書きした『騙し絵の牙』、吉川英治文学新人賞受賞作『歪んだ波紋』など話題作を連発し、次々とその映像化が続く人気エンターテインメント作家・塩田武士。その作家デビュー作であり、小説現代長編新人賞受賞作が、アマチュアからプロ棋士への過酷な挑戦を描いた『盤上のアルファ』(講談社)だ。本作が受賞した小説現代長編新人賞の選考会は、全選考委員満場一致、15分で終了したそうだ。それだけの才能をこの作品に感じたということだろう。

 本作の視点人物となるのは、新聞記者の秋葉隼介、奨励会退会後にあらためてプロ棋士になることを目指す真田信繁のふたり。記者の秋葉は事件担当から文化部に異動させられ、やる気を失いかけていたときに行きつけの飲み屋で薄汚い格好をした丸坊主の男と将棋の話題をきっかけにケンカをしてしまう。この男が真田信繁だった。

 真田は孤独に生きていた。幼少の頃に母が蒸発し、博打好きの父は小学生のときに借金取りに連れ去られ、その後は親戚に引き取られて育った。そんな真田の取り柄といえるのは、父とその借金取りのひとりだった林という男に教わった将棋の強さだけ。しかし、高校卒業と同時に家出をしてプロ棋士になろうとしたものの結果を出せず、プロ入りの年齢制限を超えて、すでに33歳。それでも夢を諦めきれない真田は、アルバイトをしながら過酷な条件が課せられた奨励会三段リーグ編入試験の合格を目指していた。

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 しかし、クビ同然にアルバイトを辞めることになり、その直後に家賃を滞納していたアパートも追い出されてしまう。将棋以外のすべてを失った真田が頼ったのは、以前に飲み屋でケンカをした因縁のある新聞記者、秋葉だった。そこで奇妙な成り行きから話は予想外の方向に展開し、真田とその飲み屋の女将まで一緒になって秋葉のマンションで同居をすることに。秋葉はそんな状況に文句を言いつつ、人生をかけた絶対に負けられない大勝負に向かう真田の熱に感化されていく…。

 真田も秋葉もアクが強く、誰からも好かれるようなタイプの人間ではない。それでも、どこか惹かれてしまうのは、崖っぷちの人間ならではの「自分はここでは終われない」という焦りと意地が、ひしひしと伝わってくるからだろう。それは、19歳の時から小説を書きはじめ、新聞記者として働きながら本作でデビューするまで12年近く目が出なかったという著者自身の心情が反映されたものなのかもしれない。

 とはいっても、本作は追い詰められた人間の切迫した悲壮感を前面に押し出した物語ではなく、むしろテンポ良くコミカルに進んでいく。関西弁の漫才のような掛け合いが楽しく、読み心地も軽くて次々とページをめくらされてしまうのだ。もちろん、一番の読みどころは、人生の逆転をかけた真田の盤上の戦いにある。真田という人間の生き方、人生観がにじみ出るかのようなギリギリの攻防は、わかりやすい状況解説とともに展開し、将棋に詳しくない読者であっても、その迫力がひしひしと伝わるはずだ。

 みじめな思いを噛み締めながらも、自分の才能を信じ、人生の逆転をかけて奇跡を目指す男の戦いは、熱い。

文=橋富政彦