脳のクセを知れば、「未知なる力」に目覚められるかも!? アナタの感性を刺激する脳の世界
公開日:2020/10/31
世間で「ミスコンテスト」が批判されるようになって久しい。人を外見で判断するのは良くないという批判に対しては、社会問題などに関するスピーチといった他の要素を選考基準に加え、性差別を助長するという批判に対しては応募条件から性別を廃するなど考えられたコンテストもある。しかし一方で、例えば持って生まれた才能全般を競うことが良くないとなったら、身体能力に優れた人がスポーツをするさいにも、学力テストやディベートを課して総合的に評価しなければならないのではないか。記憶力や発想力に優れた人が、さらに勉強して頭が良くなるなんて卑怯千万。そんなことを、勉強に体育どころか音楽や図画工作も含めた芸術面での成績さえ凡庸以下だった私は思うんである。こうした考え方も生来のモノならば自分のせいではない、と自己逃避しながら読んだのが『脳はすこぶる快楽主義 パテカトルの万脳薬』(池谷 裕二/朝日新聞出版)という次第。
本書は、薬学博士でもある著者が『週刊朝日』に連載しているエッセイをまとめたもので、「私的な科学感想文です」と述べている。どうして感想文なる言葉が出てくるのかというと、著者は毎朝「その日に出た学術論文を少なくとも100報、普通は200報ほどに目を通しています」という奇特な、「プロの科学者として最先端の現場に遅れないため」に努力を怠らない人物だからなのである。
脳は美男美女を好む
あまりに露骨で、いうなればムッツリスケベの反対、赤裸々スケベというべきか、美人を眺めたときの脳の活動を記録すると、「お金を獲得した時と同じ」ように眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)を含む報酬系全般が活性化するそうだ。一方、ブサイクを見たときには「お金を失った時」と同じ反応を脳は示し、著者は端的に「罰です」と言い切る。しかし、美の基準は時代や文化、個人によって異なるはずだ。本書でも、いわゆる筋骨隆々な「男らしさ」とか、艷やかな「女らしさ」が社会的価値を持つようになったのは比較的最近の時代になってからだと指摘している。事実ならば、社会的な見方によるジェンダーを否定的に論じることが不毛に思える。それでも美の普遍則として「平均顔」「左右対称」の2点は厳然とあり、動物界全般でも同様の傾向が好まれることから、脳の反応は「健康に発達した証拠」とみなす、生物学的な生存戦略によるものなのだ。
創造力と反道徳性の意外な関係?
思わず美人に目が行ってしまう理由があるのは有り難いが、それが差別につながるようでは困る。人間社会には、モラルというものが必要だ。これまた有り難いことに、モラルと知能指数の高さは無関係であるらしい。本書によれば、「むしろ創造力に由来する」との研究があり、要約すると、創造力のある人は「人を欺くための独創的なアイデアをよく思いつく」のと同時に、「反道徳的な行為をとるに値する理由(言い訳)もよく思いつく」ことによって、「悪事が、自分の内面で正当化される」のだとか。著者は「自分の想像力の高さに素直に従っている」からこそで、その不正直さはむしろ「馬鹿正直」の結果と論じている。
生後3ヶ月でモラルは生まれる
モラルが知能指数と関係が無いとなれば、今度は親の教育が決め手と考える人も世の中にはいるかもしれない。それはある意味正しく、なんと善悪の感覚は言語を獲得するよりも早く、生後3ヶ月ほどで芽生えるそうだ。実験では幼児にアニメ映像を見せると、仲間を助けるキャラクターに視線を多く向けることが分かり、6ヶ月齢にもなれば好きなキャラクターに手を伸ばすようになって、別の実験では1歳児に二つのオモチャを与えて実験者が一つを借りようとすると、3人に2人は「自分が好きなほう」を手渡したという。ただ、良くも悪くも勘違いしてはいけないのは、子供たちが参照しているのは親だけではなく、周囲の人々の行動も見ているということだ。
書くことは念力と同じ?
子供の教育法の一つに、読書が挙げられることは多い。私なんかは、そんなに読書が大切というのなら官能小説でも良いのかと疑問に思っていたら、どうやら悪くはない模様。いや、別の意味では悪いかもしれないものの、脳科学の観点からすると文字を見たときの脳波を測定することで、文字(文章ではなく)を読むのが上手い人ほど脳の反応精度が高いうえ、文字以外の日常道具や建築物など他の物への視覚反応も優れていると分かったそうだ。それは観察力や、危険回避といった他のことにも役に立つ可能性を示唆している。
では、書くということについてはどうかというと、著者はいくぶん哲学めいた疑問を読者に投げかけている。「意志という見えざる力が神経回路の電流を発生させる」ことで、思ったことが文章になるという構図は「念力が物体に作用する」のと同じなのではないかと。こうして脳で考えたことが“現実になる”不思議さを思えば、生まれついての才能があっても、努力しなければ決して花開くことは無い。ゆえに、努力する人はみな美しいんである。
文=清水銀嶺