大人になっても「良い子でいなきゃ」という強迫観念。親の愛情がときに“やさしい暴力”に?
公開日:2020/11/1
愛情のつもりだとしても、相手にとって押しつけになっていることは決して少なくない。例えば以下のような“生きづらさ”に、思い当たることがある人も多いのではないだろうか。
「親からの強い期待を受けて育ったため、いつも人の顔色をうかがってしまう」
「良い子でいなければいけないという強迫観念がある」
「親からノルマにされていた受験勉強がうまくいかず、“申し訳ない”と感じている」
こうした悩みや生きづらさを抱える人たちは、もしかすると幼少期から「愛」で表面をコーティングされた「やさしい暴力」を受けていたのかもしれないと指摘するのが、『「愛」という名のやさしい暴力』(斎藤学/扶桑社)。本書では、精神科医として数多くの臨床経験をもつ著者が、現代社会にまとわりつく「やさしい暴力」について解き明かす。斎藤さんは、“子どもを愛するがゆえに干渉し、拘束し、期待し、要求する――そんな「やさしい暴力」を免れている家族は、今の日本には少ないでしょう”と述べる。
家族としての愛情が、心的暴力につながってしまうことも…
そもそもあなたにとって、家族とはどんな存在だろうか? 家族だからといって、自動的に温かく仲の良い関係でいられるわけではない。近い関係だからこそ、ときには喧嘩もするし、ときには修復不可能な傷を与えられることもあるだろう。しかしながら、一般的な家族のイメージといえば、いつも仲が良く、何かあれば助け合う関係のようなものだろう。だからこそ、本当の息苦しさは外から見えづらい。
斎藤さんは、こう語る。
“私は、家族は一種の暴力装置であると考えます。この表現が極端に聞こえるのであれば、暴力の隠蔽装置と言い換えてもいいかもしれません。”
DVや虐待は家という閉じられた空間で発生する。期待や干渉というような「やさしさ」が発端の表現も、ときには暴力につながるが、それが見えづらい状況にある。
典型的なのは、「良い子」の問題だ。斎藤さんによれば、「良い子」こそ、日本で最もありふれたアダルトチルドレンのタイプだという。斎藤さんは、アダルトチルドレンの概念を日本に広げた人物でもある。彼がいま警鐘を鳴らす「良い子」の問題に、大人になったあなたは思い当たる節はないだろうか。
“いろいろ大変なことがあったし、必ずしも思い通りの人生ではなかったかもしれないけれど、粘り強くあなたは生き延び、今ここにいるのです。それはまぎれもなく、あなたの力です”
「愛」という名のやさしい暴力について自覚しそこから解放されれば、あなたの視界は開けてくるかもしれない。本書はきっとその助けになるはずだ。
文=えんどーこーた