将棋テーマの言わずと知れた名作『3月のライオン』初心者にすすめたい、作中屈指の号泣エピソード

マンガ

公開日:2020/11/8

3月のライオン
『3月のライオン』(羽海野チカ/白泉社)

 将棋をテーマにしたマンガといえば? そう訊かれたら、きっと多くの人がこの作品をあげるだろう。

『3月のライオン』(羽海野チカ/白泉社)。本作はダ・ヴィンチの恒例企画「ブック・オブ・ザ・イヤー」コミックランキングの上位常連組であり、講談社漫画賞一般部門や手塚治虫文化賞マンガ大賞など数々の賞に輝いている。

 また、テレビアニメ化された上に、2017年には神木隆之介主演による実写映画も公開された。マンガとしての知名度は抜群であり、大勢のファンから支持されていることは明白なので、ここであらためてガッツリ紹介しても「今更」になってしまうかもしれない。ただ、それでも「話題になっているのは知っていたけれど、実は読んだことがない…」という人に向けて、本作の魅力を紹介したい。

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 主人公は高校生の桐山零。中学生の頃にプロ棋士になるほどの腕前である。才能には恵まれている人物だが、彼の心には陰がある。「家族を失った」という過去を背負っているからだ。いつもどこか暗く沈んでいるような印象を受けるのは、彼が孤独と隣り合わせのように生きてきたからなのだろう。

 そんな桐山を支えてくれるのが、近くに住む川本3姉妹の存在だ。亡き母に代わって妹たちの面倒を見る長女のあかり、母がいないことの寂しさを抱えながらもいつも明るく元気に振る舞う次女のひなた、そして甘えん坊の三女・モモ。彼女たちの存在は、孤独だった桐山の人生に小さな明かりを灯すよう。交流を深めていくにつれて、桐山の閉じた心が徐々に開かれていくのだ。

 本作は、桐山がひとりの棋士としてどのように成長していくのか、を丁寧に追いかけた物語だ。そして、彼の成長には川本3姉妹が大きく影響している。作中で描かれる3姉妹とのエピソードは、どれもこれも胸を打つものばかり。なかでも絶対に読んでもらいたいエピソードがある。それは、次女・ひなたのいじめ問題だ。

 それが描かれるのは単行本第5巻。中学3年生になったひなたのクラスでいじめが発生し、被害に遭ったひとりの女子生徒・ちほが転校することになってしまう。それを許せなかったひなたはいじめっ子たちに食って掛かった。その結果、いじめの矛先はひなたにも向けられることに。

 いつも元気なはずのひなたは、ある晩、桐山の前で大粒の涙を流しながら、「ひとりぼっちになるの こわいよう…」と弱音を吐く。けれど、続けるように「後悔なんてしないっっしちゃダメだっ」「私のした事はぜったい まちがってなんかない!!」と宣言する。

 毎日通う学校でいじめの標的にされる。こんなに心細いことがあるだろうか。ひなたは不安でいまにも逃げ出したかったに違いない。いじめっ子に立ち向かっていかなければよかった、と後悔を口にしたって、誰も彼女を責められない。それなのに、ひなたは泣きじゃくりながらも、自分自身を鼓舞するように立ち上がる。その姿はとても美しく、同時に脆く壊れそうでもある。

 でも、そんなひなたに手を差し伸べるのは、他でもない桐山だった。「僕がついてる」という桐山のひとことには、どんな想いが込められていたのだろう。

 このいじめ問題は、単行本第7巻で一応の決着がつく。

 苦難を乗り越えたひなたは、桐山にいじめ問題が解決したことを報告するのだ。しかし、桐山は自分の不甲斐なさに打ちひしがれる。「結局 僕は 何もできなかった」と泣きそうな表情を浮かべる。ところが、ひなたはそれを否定し、桐山と前を向いて歩き出す。このシーンはとても希望に満ち溢れていて、何度読んでも泣けてくる。

 また、決して意志を曲げなかったひなたの戦いを見ていた桐山のなかには、棋士としての覚悟のようなものが芽生えたのだろう。勝負の世界で「結果」は大事である。しかし、それだけではない。自分がどんな意志を持ち、どう戦うのか。結果と同じくらい、過程も重要なのだ。それを知った桐山は、棋士としてまたひとつ大きくなっていく。

 このように、重厚な人間ドラマと将棋の世界とが絡み合う本作。未読の人は、少なくとも第7巻までは必ず読んでみてほしい。作品の根底に流れる「やさしさ」に心が温かくなり、それでいて、この世界観にもっと浸っていたいと思うはずだから。

 ちなみに、現在は第15巻まで刊行されている。第8巻以降も桐山と川本3姉妹はさまざまな問題にぶつかるが、不器用ながらも懸命に乗り越えていく。その姿に勇気をもらいつつ、いつの間にか、彼らがどこかで笑いながら暮らしているのではないかという錯覚を覚えるだろう。それは、本作に登場する一人ひとりのキャラクターが、ちゃんと息づいているからだ。

文=五十嵐 大