本作りを支えてきたプロフェッショナルたちの声を聞く! 話題のノンフィクションが文庫化

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/12

本日発売の「文庫本」の内容をいち早く紹介!
サイズが小さいので移動などの持ち運びにも便利で、値段も手ごろに入手できるのが文庫本の魅力。読み逃していた“人気作品”を楽しむことができる、貴重なチャンスをお見逃しなく。

《以下のレビューは単行本刊行時(2017年1月)の紹介です》

『「本をつくる」という仕事』(稲泉連/筑摩書房)

 あなたは本を読むとき、その本を作った人たちのことをどれくらい想像しているだろうか? 多くの人は、その本を書いた著者や、表紙のイラストレーターのことくらいしか気にしていないかもしれない。最近は、出版業界を描く作品も増えているため、それに加えて編集者や装丁家、校閲者などのことを意識している人もいるかもしれない。

 私も同じくらいの認識だったのだが、本書『「本をつくる」という仕事』(稲泉 連/筑摩書房)を読んで、自分の中の“本の世界”がさらに広がり、いっそう奥深いものになっていくのを感じた。普段当たり前のように使われているフォントや、本を製本するための技術、使われている紙ひとつにいたるまで、そこにはこだわりを持つ職人たちの思いと、途方もない試行錯誤の積み重ねがあるのだ。

■明治時代の書体を現代に甦らせる壮大な取り組み

 第1章「活字は本の声である」では、大日本印刷の「平成の大改刻プロジェクト」について、社員の伊藤正樹さんにお話を聞いている。「改刻」とは、既にある書体を作り直すこと。このプロジェクトは、明治時代に職人の手で作られた「秀英体」という大日本印刷のオリジナル書体の品質を見直し、現代向けにリニューアルする、という話なのだが…そもそも「書体に品質なんてあるの?」と思う人が大多数であろう。

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 元々職人たちが1文字ずつ彫っていた書体は、活版印刷の際に生じるインクの滲みなどを計算して作られていた。しかし、書体がデジタル化されることで、その滲みの部分がなくなり、昔よりも線が細くなっていたのだ。とはいえ、文字をただ機械的に太らせてしまっては、かつての職人たちがこだわりぬいた調和と闊達さが失われてしまう…。そうした事情から、「平成の大改刻」は、大日本印刷の原点を取り戻すために始まったのである。7年間にわたる開発の様子はここでは割愛するが、12万字以上の文字をひとつひとつデザインする労力は想像を絶する。リニューアルされたこの「秀英体」は、今では講談社現代新書などに使用されている。

■かつて紙や本の寿命はもっと短かった。その理由は――

 もうひとつ紹介したいエピソードは、第5章「すべての本は紙だった」で語られる、ひとりの技術者の物語だ。今の私たちが想像することは難しいが、かつて本には数十年という物理的な寿命があった。20世紀中ごろの欧米では、図書館の本が一斉に黄ばんで劣化し、ボロボロと崩れていくことが社会問題になっていた。フランスの国立図書館では1000万冊の蔵書のうち67万冊の文字が読み取れなくなり、メディアはこの現象を「世界の記憶を少しずつ蝕んでいく病患」と表現したのだという。その原因は、19世紀中ごろから世界の製紙業にとって欠かせない素材になっていた「硫酸バンド」という酸性物質。次第にこの酸性紙問題は日本でも議論されるようになり、1980年代には、日本を代表する製紙会社・三菱製紙でも、書籍用紙を従来の酸性紙から中性紙へと転換するプロジェクトが始まった。元執行役員の日比野良彦さんは、当時わずか入社2年目で、多くの同僚たちが「不可能」だと考える中性紙作りを任され、その研究に没頭していく…。製品化に10年以上の歳月がかけられたこのプロジェクトによって、日本の本の寿命は、300~500年へと飛躍的に向上した。

 本書では、この記事で紹介した以外にも、製本、活版印刷、校閲、装幀、サブエージェント(海外の本を日本の出版社に売り込む代理人)、絵本などの分野において、その道のベテランたちを訪ねていく。どの章でも、読み手に否応なく伝わってくるのは、長年日本の本作りを支えてきたベテランたちの志と熱量だ。読んでいると、自分の本棚にある本たちがよりいっそう愛おしく思えてくる…そんな至福の読書体験だった。

文=中川 凌