「人の気持ちを勝手に“同期”してしまう」「くつろげなくて号泣」生きづらさに共感する実録エッセイ漫画第2巻

マンガ

公開日:2020/11/15

『生きやすい』(2)(秋田書店)
『生きやすい』(2)(菊池真理子/秋田書店)

 まるで、自分のことを描かれているみたい…。『生きやすい』(菊池真理子/秋田書店)はそんな衝撃を受けた1冊。日常の中で感じる、言葉で形容しがたい生きづらさを分かってもらえたような気がして、とてもうれしかったのだ。

 そんな貴重作の続編『生きやすい』(2)(秋田書店)にも分かりすぎる生きづらさが描かれており、なんとも言えない気持ちになった。

 酔って奇行を繰り返す父親と新興宗教信者の母親を見つつ、壊れていく家庭の中で生き抜いてきた著者の菊池さんは、複雑な家庭環境の影響もあり、常に自分を責めたり、自己犠牲的な考えをしてしまったりする。

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 もっと気を抜いて生きたいのに、それができない自分がイヤ。そんな心境に激しく共感するのは、きっと筆者だけではないはず。本作には、自己肯定感の低い私たちが自分を少し許せるようになるヒントが詰め込まれている。

「人の心を読まない」のも思いやり

 私たちは誰かに嫌われず、あざ笑われないよう、人の心を読むことを習得し、美徳としている。十数年前、「KY(空気が読めない)」という言葉が流行ったのもその影響。この社会にはその場にそぐわない言動をすると、つまはじきにされる怖さがあるように思う。けれど、本作のあるエピソードを目にすると、KYでいる勇気を持ちたくなる。

 それは、菊池さんがラーメン店に行った時のこと。店内でバイトの子が店主に激しく怒られているのを見て、ネガティブな気持ちになってしまった。日頃から人の気持ちを慮る菊池さんはバイトの子の心境を想像しすぎて、心を同期しているような感覚に陥り、苦しくなってしまったのだ。

 そして、「人の心を考えるスイッチ」が入り、なかなか予定が合わない友達のことをふと思い出し、「自分と会ってもつまらないからでは…?」と負のループに…。だが、そんな時、道行く人のなにげない雑談にハっとした。

“フランスでは人の気持ちを読むのは失礼なんだって 私の気持ちを勝手にわかった気になるなって怒られるんだって”

 もしかしたら、自分も人の気持ちを知った気になっていたのでは…。そう感じ、本人に本心を尋ねることの大切さを学んだという。

 この発見は筆者にも刺さった。なぜなら、昔、「勝手に気持ちを想像しないで」と言われ、恋人や友人を失った経験があったから。あの時はなぜ怒っているのか分からなかったが、良かれと思っていた気遣いが、いつのまにかただの思い込みにすり替わっていたことに今更ながら気づき、恥ずかしくなった。

 たしかに他人の気持ちを慮ることは大切で、愛情表現にもなる。けれど、「測り難きは人心」ということわざがあるように、人の気持ちを100%理解することなど不可能。分からないからこそ、分かり合うために人は言葉を交わし、気持ちを伝え、自己表現をするのかもしれない。

 勝手に心を予測して消極的になるのではなく、大切な相手こそ心を読もうとする前に本音を尋ねてみる。そんな勇気が、私たちには必要なのかもしれない。人と距離をとらなければならない今だからこそ、「人の心を読まない」という思いやりがあることに気づき、心の距離の近づけ方を考えていきたい。

くつろげなくても心は休められる

 くつろぐことが苦手な自分にとって「リラックス」はハードルが高い。思いっきり休むぞと思っても謎の焦燥感に駆られ、オフ日を自主的にオンにしてしまう。

 だから、本作に描かれている「くつろぐのが苦手」という苦しみに深く共感した。菊池さんはやることがなくてもくつろげず、リラックスするために頑張ってしまう。そうした努力は当然リラックスに繋がらず、自己嫌悪。こんな自分がイヤだと号泣する。

 けれど、こうした号泣療法によって菊池さんは心をリセットしているよう。リラックスとは言えないかもしれないが、こんな心の休ませ方もありなのだ。そう気づくと、自分も他人基準ではなく、もっと私基準で“リラックス法”を模索してみてもいいのではないかと思え、心が楽になる。

 他にも本作には不眠症と闘った話や敬語の辞めどきが分からないという悩みなど、分かる人は分かりすぎる生きづらさがたくさん。コロナ禍で起きた、菊池さんの過ごし方や心境の変化にもぜひ注目してほしい。

 同じモヤモヤを抱えている同士がいる――。その事実は大きな支えになり、嫌いな自分との付き合い方を知るきっかけにもなるはず。ぜひ、本作から自分に刺さる生きづらさ解消法も見つけてみてほしい。

文=古川諭香