「私はたぶん、エキストラの人たちを書きたいんだと思います」青山美智子さんが『お探し物は図書室まで』に込めた真意とは?【後編】

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/21

 10万部を突破した人気作『木曜日にはココアを』の青山美智子さんが贈る最新作『お探し物は図書室まで』(ポプラ社)は、町の小さな図書室が舞台。5人の登場人物たちの背中を司書の小町さんが、思いもよらない本のセレクトと可愛い付録で後押しするハートウォーミング小説だ。インタビュー後編、青山さんが「エキストラの人たちを書きたい」と語った真意とは――?


【前編から読む】「町の図書室」で『ぐりとぐら』を薦められて…!『木曜日にはココアを』の青山美智子さんが贈る最新お仕事小説が、私たちの心の疲れをほぐす!

お探し物は図書室まで
『お探し物は図書室まで』(青山美智子/ポプラ社)

――青山さんの作品はすべて、連作短編集ですよね。今作に限らず、多種多様な人間が生きている一瞬を切りとっている。これだけ多くの人を描いているのに、ひとつとして似た人はおらず、でも“特別”な人もいない。それはとてもすごいことだと思うのですが、何か意識していることはありますか。

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青山 それはたぶん、私が一般庶民だからだと思います(笑)。なんていうか……最大公約数的な日本人だな、と自分に対しては思うんです。だから、公共性みたいなことは意識しているかもしれません。最初に、お金のかからない開かれた場所を舞台にしたかった、とお話ししましたけど、そういう「誰でも利用できる」というハードルの低さや偶発性は、大事にしている。あと私、ドラマを観ていてもついついエキストラの人に目が行ってしまうんですよ。

――エキストラ?

青山 たとえば主人公たちが喫茶店でおしゃべりしているシーンがあると、本筋である彼らよりも他のお客が何を話しているか、何を食べているかが気になってしまう(笑)。あのとき、途中で立った人はどこへ行ったんだろう、とか。そういうエキストラの人たちを、私は小説で書きたいんです。

――ああ、だから……視点の広いお話を書かれているんですね。登場人物は多いのに、誰も決して本筋の邪魔をすることなく、自然にその場所にいる。作家になる以前に記者として働いていた経験も“さまざまな人を見る”基盤にはなっているんですか?

青山 記者……よりも、演劇をやってきた経験のほうが大きい気がします。作家さんって大きく分けて2パターンあると思っていて。脱いで脱いで自分をさらけ出していくタイプと、着込んで着込んでいくタイプで、私は後者。私にとって小説を書くというのは、コスプレに近い感覚なんですよね。

 ふだんは内向的であまり人と話すのが得意でない人も、好きなキャラクターのコスチュームを身にまとったとたん、別人のようになりきることができたりするじゃないですか。そういう、感じ。でも、同じキャラでも演じる人が変わればちょっとずつ違うものになっていくでしょう。

 私の小説に出てくる人たちも、最初はどこにでもいるありふれた「○○みたいな人」っていうカテゴリーだったのが、書いていくうちにだんだんその人らしさをまとって、おっしゃっていただいた「特別じゃないけど、似た人もいない誰か」になっていくんだと思います。だから私自身、「こうなるとは思わなかったなあ」とか「こんなこと言うんだ……」と驚くことがたびたびあります。

――今回はどの部分でしょう。

青山 たびたびというのは、本当にたびたびなので、そういう部分だらけなんですけど……(笑)。朋香の同僚である桐山くんは、こんなに彼女にとって重要な役になるとは思わなかったですし、彼が言った「何が起きるかわからない世の中で、今の自分にできることを今やってるんだ」というセリフは、コロナ禍に際して私が感じていたことを代弁してくれたような気がします。4話で浩弥の友人・征太郎が言った「絶対安泰で大丈夫なんて仕事、ひとつもない」「絶対大丈夫なことなんてないかわりに、絶対ダメって言いきれることもたぶんないんだ。誰にもわからないんだ」っていうのもそうですね。

――それはご自身が、執筆中に感じていたことでもあるんですか。

青山 どうしても考えざるをえなかったことですよね。コロナによって、仕事のありようがすっかり変わってしまった。そのことを、仕事をテーマに書いている以上は、踏まえないわけにはいかなかった。めちゃくちゃ意識して書いたというよりは、自然と踏まえたうえでの表現になった、というほうが近いですけれど。何が正解かわからない以上、コロナについて直接語ることは、今はまだ憚られる。正直に言えば、怖いです。でも小説は、何を書いてもそれは読んだ人のものだから、シンクロするところがあれば受けとってもらえるものがあるかもしれないし、違うなら違うという感想で済む。そういう、小説だからこその伝え方をしていけたらいいな、と改めて感じました。

――小町さんのセリフにもありましたね。「どんな本もそうだけど、書物そのものに力があるというよりは、あなたがそういう読み方をしたっていう、そこに価値があるんだよ」。

青山 これは書いてから気づいたんですけど……この小説のなかには成し遂げた人がひとりもいないんですよ。「私は○○になれた!」みたいな達成感はひとつもなくて、本との出会いによってなんとなく好転はしたけど、いまだ流動的だし、途中のまま。でもけっきょく、人って最後までそうなんじゃないかなと思いました。永遠の、ing(現在進行形)なんだって。そういうものに寄り添う存在として、本を書きたかったのかもしれませんね。

気にするなと言われても気にしてしまう、日常の些細で重大な悩みを越えていく姿を描きだす

――朋香は地元の友達に「東京で働くバリバリのキャリアウーマン」を装いながらスーパー勤めの自分を卑下し、産後、編集部から異動させられた夏美は編集長の座に就いた元同僚に嫉妬する。5人の主人公は共通して、自分の存在意義を証明する「肩書」にこだわっていますよね。

青山 他人と比較するなとか、こだわるなとか言うのは簡単だけど、人生でいちばん悩まされるのって、そういういかんともしがたい何かだと思うんですよ。「私、一生このままだったらどうしよう」とか「どうして自分にだけ○○がないんだろう」とか。でもそういう悩みって、人に話すと「でも東京で働けてるだけいいじゃん」とか「家族がいて幸せなんだから贅沢言っちゃだめだよ」とか言われてしまう。そういうふうに、気にするなって言われるの、いちばんつらくないですか? 私はつらいです。だって気になるものは気になるんだから!(笑)

――わかります。

青山 本当にどうにかしなきゃいけないような深刻な問題については、解決する手口が提示されているけど、飲み屋でクダを巻いて終わるような日常の愚痴は、どこに吐き出せばいいのかわからないし、解決しようにもなかなか提示してはもらえない。かといって自分で考えてもネガティブ思考がループするばかり。そういう人たちが「なるほど、こういう手があるか」みたいな気持ちになってくれたらいいなと思って、書いているところはあります。意識はしていなかったけれど、成し遂げた人を描かないのもそれが理由かも。

――ゴールだと思っていたところが苦難の始まり、というのはよくある話ですし、死ぬまで「終わり」はないですもんね。

青山 人生も、自分の性格も、光の当て方ひとつでいいようにも悪いようにも見え方が変わる。善意が相手を傷つけることだってあるし、そんなつもりではなかったことが人を救うことだってある。けっきょく、匙加減を覚えながら自分なりに生きていくしかないんですよね。ただ、それを読者の皆さんにお伝えしたいというよりは、私自身が、すぐに悩むしネガティブループにもはまる、気弱な小市民だからこそ「こんなふうに一歩踏み出せたらいいな」という願いをこめて書いているし、できれば読んでくれた方々も少しでも元気になってくれたらいいな……っていう感じです。何度も言いましたが、人によって言葉ひとつとっても受け取り方は全然違いますし、それを読者にゆだねられるのが小説のいいところかなとも思うので。

――正雄が手にした草野心平の詩「窓」はそれを象徴していますね。正雄と、娘の千恵の解釈は全然違っていた。でもそれが、読むということであり、生きるということなのだと教えてくれる。物語の締めくくりとしてそれが描かれていたから、最終話がいちばん沁みたのかもしれません。

青山 だとしたら、よかったです。今お話ししながら気づきましたけど、ラストで正雄に妻の依子が言うセリフも、肩書にとらわれてしまうことに対する思いを結集したものだったなあと思います。本屋で働く千恵の言う「本を必要としている人はいつもいるの。誰かにとって大切な一冊となる本との出会いが、本屋にはあるんだよ。私は絶対、この世から本屋を絶やさせたりしない」というセリフも、書き終えてから、私がいちばん言いたかったことなのかもしれない、と思いました。そういう意味でやっぱり正雄の章は、導かれるように書いたな、という気がします。

――最初は本の話にするつもりがなかった、なんて想像つかないですね。

青山 そうですね(笑)。ただ、私が書きたかったのは、本もまた気づくきっかけのひとつであるということで……。主人公の5人はみんな、特別な一冊と出会いはするけど、本だけが特別なわけじゃない。彼らに気づきを与えたり、解決に導いたりしてくれるのは、出会ったすべての人たちの言葉。それを自分がどう受け止めて解釈していくか。そういうエキストラたちの姿をきっと小説を通じて書いていきたいんだなと、改めて気づかされる作品となりました。

取材・文=立花もも 撮影=岡村大輔