来日中のチャップリンに暗殺計画! 天ぷらのおかげで免れたって本当?/毎日雑学
更新日:2021/1/3
今回は「チャップリンは日本で暗殺されるところだった」という情報など、チャップリンにまつわる雑学を紹介します。
現代の日本では“暗殺”なんて物騒なワードはほとんど耳にしませんが、かつてチャップリンが来日した際には、なんと彼を暗殺しようという計画も企てられていたのです。
チャップリンの暗殺計画
さっそくチャップリンの暗殺計画について、状況を詳しく解説していきましょう。
喜劇王として知られているチャップリンが暗殺される理由は何だろうと、その計画について不思議に思う人も多いでしょう。
暗殺が計画された理由
チャップリンの暗殺が計画された理由は、来日当時の日本の軍国主義に関係がありました。当時の日本は軍が圧倒的な力を持っており、国民に対しても軍隊のような厳しい規律が求められていました。そういった規律からみると、チャップリンは日本に退廃文化をもたらしかねない人物であり、当時軍国主義の日本にとっては好ましくない人物だったのです。退廃とは道徳や気風が乱れることにつながり、まさに当時の軍隊が国民に求めていたものとは真逆のものです。
実行日は5月15日を予定
チャップリンの暗殺は5月15日の夜に予定されていました。この5月15日という日付にピンと来た方も多いかもしれませんが、この日は五・一五事件が発生した日です。五・一五事件とは海軍将校らがクーデターを起こし、内閣総理大臣の犬養毅を暗殺した事件です。このクーデターの実行日にちょうどチャップリンも来日していたため、チャップリンも暗殺してしまおうと考えたのでしょうか…。チャップリンは5月15日には首相官邸を訪れて晩餐会に出席する予定となっていました。そのため、犬養毅も必ずその日は首相官邸にいるだろうということで、同時に暗殺するにはちょうどのタイミングだったのです。
天ぷらのおかげで助かった?
それではなぜチャップリンが暗殺から逃れたのでしょうか? それは、天ぷらのおかげだったという説があります。
何を考えたのか今となってはわかりませんが、チャップリンは晩餐会当日になって急に天ぷらが食べたいと言い出し、それで首相官邸へ行かなかったのです。5月15日朝には犬養毅の息子から出席確認の電話があり、その時点では出席すると返事をしていましたが、夕方には天ぷらを理由にドタキャンしたのです。
この気まぐれが幸いして、偶然にもチャップリンは暗殺から逃れられたとされています。ただ、暗殺から逃れた理由には諸説あり、相撲見たさに晩餐会の出席をキャンセルしたという説も存在しています。この説によると、五・一五事件発生当時、チャップリンは相撲観戦後で散歩を楽しんでいたとされています。
また、体調不良を理由に欠席、忙しくて疲れて機嫌が悪かったから欠席…などの説もありますが、いずれにせよこの件においてはチャップリンが幸運の持ち主だったといえるでしょう。
以上が「チャップリンの暗殺計画」についての雑学でした。
まとめ
チャップリンは「日本に退廃的な文化をもたらした」という理由で、日本で暗殺することが計画されていた。
暗殺の実行日は5月15日であり、犬養毅と共に首相官邸で暗殺する計画だった。
しかし、チャップリンが天ぷらが食べたいという理由から急遽晩餐会をキャンセルしたことで、暗殺から逃れることができた。
他にも相撲観戦に行っていた、体調不良だった、疲れて機嫌が悪かった…など晩餐会をキャンセルした諸説が残っている。
※提供している情報には諸説ある場合があります。ご了承ください。
雑学.com
※この記事は雑学.comから提供を受け作成しています。