「食べちゃいたいくらい可愛い」性と食と暴力をめぐる欲望の根源にあるもの【読書日記32冊目】
公開日:2020/11/24
2020年11月某日
好きな人を殺して食べたい。
そんな欲望を胸に秘めて生きてきた。
どうしてそう思うのかと聞かれても、わからない。
怖がられたり気味悪がられたりすることは承知している。
しかし、芥川龍之介とて、後に妻となる女性にあてて、「ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛い気がします」と書いていたではないか。あるいは、折口信夫の唯一の女弟子である穂積生萩が、折口の死後に骨を食べたエピソードも『執深くあれ』(小学館)に記されている。
殺して、という響きがグロテスクさを帯びたとしても、好きな人を食べる(すなわち殺すことにもなる)という行為自体にはどこか甘美さが漂っている気がしてやまない。
*
恋の予感も、いつも「おいしそう」から始まってきた。
食べたい、触れたい、交わりたい。
欲を言うなら、境界を溶かしてひとつになりたい。
そんな話をすると、きまって「好きな人を食べたらいなくなって悲しいじゃん」と言われたが、いまいちピンとこなかった。
食べるといなくなる、のだろうか。
そして、好きな人がいなくなることは悲しい、のだろうか。
いずれにしても、食べること、交わること、殺すことは似ている。
赤坂憲雄氏によって書かれた『性食考』(岩波書店)は、食べることと交わること、そして殺すことの重なりについて、様々な著作や書簡、神話を用いながら丁寧に論じている。
「異類婚姻譚」という馴染みやすい章から「動物を巡る問題系」「生贄譚」「愛の倒錯」といった、興味をそそられる章まで、全9章から成るこの本には、私が知りたかったことや、感覚的にしか認識できていなかった違和感や疑問へのアンサーがギュッと詰められていた。
とりわけ夢中になって読み込んでしまったのは、第3章の「食と性と暴力と」だった。
本章は、動物を食べる肉食と人食習俗の関係に端を発し、中村生雄氏による金子みすゞの詩の解釈を中心に紹介する「殺生と肉食をめぐる問い」、性と食と暴力をまたがる童話や児童文学を紹介する「子どもを食べたがる怪獣たち」、宮沢賢治作品を読み解く「哄笑と残酷のゼロ地点に」など、多様な事例を用いながら展開される。
「子どもを食べたがる怪獣たち」では、「食べること」を主旋律として語る物語の一例として『かいじゅうたちのいるところ』(ハーパー・ペーパーバック)が登場する。
この物語は、オオカミの着ぐるみを着た、主人公のマックスがいたずらをし、母に「この かいじゅう!」と叱られているにもかかわらず、「おまえを 食べちゃうぞ」と叫んで夕飯抜きで寝室に放り込まれてしまうところから始まる。
風景はいつしか森に変わり、波が打ち寄せて「怪獣たちのいるところ」にやってくる。怪獣の王様になったマックスは踊りや行進で大騒ぎをするが、どこからともなくおいしい匂いが漂い流れてきて、マックスは王様をやめることにする。
怪獣たちは、泣きながらこう叫ぶ。
“おねがい、いかないで。 おれたちは たべちゃいたいほど おまえが すきなんだ。たべてやるから いかないで。”
その後、マックスは夕食が置かれた寝室へと戻ってきて事なきを得るが、これほど純粋かつ切実に、「好きだから食べたい」を訴えた作品はあるだろうか。
一方で、子ども向けの本ということもあり、ここに性愛の要素を認めるには不十分といえる。そこで参照されるのが、大平健の『食の精神病理』(光文社新書)だ。
第2章の末尾の一節で述べられる性と食の関係について、赤坂氏は以下のようにまとめている。
“なぜ、食は性の代替物や比喩の拠りどころになりえたのか。大平は、構造がよく似ているからだ、という。ひとつは、どちらも交流性・一体化/攻撃性・被攻撃性の領域に分かれていることであり、いまひとつは、ともに愛というテーマに仲立ちされていることである。”
先の『かいじゅうたちのいるところ』の怪獣たちが追いかけてくるシーンでは、「食べる/殺すが分かちがたく結ばれるところに、食べることが孕む攻撃性/被攻撃性の領域が露出」している。しかし、怪獣たちは「殺して食べたい」と言っているのではない。
“「たべちゃいたいほど おまえが すきなんだ」と、まさに愛にもとづく交流と一体化を、見果てぬ夢のごとくにひたすら訴えていたのである。”
――愛にもとづく交流と一体化
この表現を目にしたとき、私はかつての恋愛を思い出していた。
私はその人をその人として愛していたというよりも、私はその人になってしまいたかった。失恋したときも、好きだった人の要素が自分に取り込まれていることを感じることで、すなわち「私があなたになる」ことで、折り合いをつけてきた。
だからこそ、私は彼らを「殺して食べてしまいたかった」のではなかったか。
*
最近お付き合いし始めた人がいる。
彼のことは好きだが、殺して食べたいとは思わない。
彼と一緒にご飯を食べるのが楽しいし、彼がいなくなると悲しいからだ。
しかし、性と食との結びつきを感じなくなったわけではない。
彼と食卓をともに囲むとき、ときどき無性に泣きたくなる。
純然たる多幸感からだけではない。
おいしすぎると気持ちよくて涙が出るのだ。
そして、それはまるで、セックスのエクスタシーにそっくりなのである。
文・写真=佐々木ののか
バナー写真=Atsutomo Hino
【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka