観光客でパンクしていた京都が“ポスターでしか見たことのない姿”に!? コロナ後の「新しい観光の形」を探る
公開日:2020/11/26
観光産業が苦しい。「Go To トラベル」は観光産業を救済するための施策だが、「なぜ子どもの修学旅行はキャンセルなのに、大人の旅行は許されて、助成までしてもらえるのか」と憤る人もいるだろう。日本にとって、観光産業とは何なのだろうか。そして、ウィズコロナ、コロナ後の時代の観光は、どのような形になるのだろうか。
『観光は滅びない 99.9%減からの復活が京都からはじまる(星海社新書)』(中井治郎/星海社:発行、講談社:発売)は、新型コロナウイルス禍で浮き彫りとなった観光産業の諸問題を分析しつつ、「新しい観光の形」を探っている。
日本にとっての観光産業については、本書の中ほどにまとめられている。日本政府が本格的にインバウンド誘致に乗り出したのは、小泉政権下の2003年「ビジット・ジャパン・キャンペーン」から。「失われた20年」からの脱却と、人口減少社会を乗り越えるための成長戦略の柱として推進された。やがて、2003年には520万人程度だった訪日観光客数は、2019年には3188万人へと激増。日本では自動車、化学製品に続いて外貨を獲得している「第三の輸出産業」となっていた。日本は観光大国の仲間入りをしたが、観光産業の拡大は日本に限った話ではない。世界に目を向けると、全世界のGDPに対する2019年の観光産業の寄与額は8.9兆ドル、割合では全GDPの10.3%を占める。世界全雇用の約10%は観光産業に従事し、特に新規雇用では4人に1人を担っている、成長著しい産業…であった。
しかし、観光産業は諸刃の剣でもある。観光客の一部は“その街らしさ”を求めて地域住人の暮らしの場にまで侵入し、騒音とゴミを撒き散らす。観光産業は、文化や自然環境、各種インフラなど、ありとあらゆるものを観光資源として消費しながら、そのツケは地域社会や地球環境に押し付ける「タダ乗り」で「短期的」な利潤を得る仕掛け、という側面も併せ持つのだ。
「オーバーツーリズム」は、「地域のキャパシティを超えた観光客の増加が、地域住民の暮らしや観光客の観光体験の質に受け入れがたい悪影響を与えている状態」を意味するが、この新語が広く認知され始めた頃、奇しくも問題は解決された。2020年春、日本のインバウンドは前年同月比99.9%減、世界も例外ではなかった。イタリアの「水の都」ヴェネツィアの運河は濁りが消え、魚たちが澄んだ水でのびのびと泳ぐ姿が見られる。京都には、どこでもゆうゆうと歩ける“ポスターでしか見たことのない京都”がある。観光が引き起こしていたほとんどの問題は、コロナによる観光客消失という形で強制解決されたが、同時に、観光がない世界には戻れないことも赤裸々にした。
観光はウィズコロナ、コロナ後の時代に、どのような形に変わるのだろうか。本書は、観光が滅びることはないが、私たちが慣れ親しんだものとは違うものになる、と予言している。ウィズコロナ時代には、「安心」が最優先される。そのため、人と接触しないこと、「定番スポット」の混雑・行列を避けたり分散したりすること、移動距離が短いこと、といった事柄に価値が見出され始めている。これらが意味するところは、「格安の終焉」だ。「往復3万円でちょっと海外に」は消滅し、旅行がより贅沢な楽しみになりそうだ。
もう一つの変化は、地域との結び直しだ。先述のとおり、観光は時に、地域の嫌われ者だった。例えば、京都に宿がどんどん乱立する「お宿バブル」は、住民にとっては自分たちが立ち入れない場所が増えていくということだったのだ。観光は、すでに街からしめ出される恐れもあった。両者の関係は、コロナをきっかけに結び直されるだろう、というのだ。
京都の例では、2020年6月にオープンしたエースホテル京都は、映画館や商業施設などを併設し、地元住民の利便性にも配慮した。また、京都市は市内12か所のホテルの合意をすでに得て、ホテルの空き部屋を短期間の避難場所として活用する予定だ。
地元の協力があることで、観光コンテンツの造成や維持の観点から、より強い観光業に育つ。同時に、地域の課題は、観光で解決する。今が、新しい観光に生まれ変わる過渡期。観光産業従事者はもちろん、旅行を愛する多くの人たちの理解もまた、新しい観光の実現を推し進める力になるはずだ。
文=ルートつつみ
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