『52ヘルツのクジラたち』町田そのこさん×『明け方の若者たち』カツセマサヒコさんの対談が実現! 創作と小説を語り尽くす
更新日:2021/1/26
毒親や虐待など、歪んだ愛情からの離脱と再起を描き、多くの人から支持される『52ヘルツのクジラたち』(町田そのこ/中央公論新社)。2016年の「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞以来、コンスタントに小説を書き続けてきた町田そのこさんの1冊を、先日
ダ・ヴィンチニュースに掲載された記事で
「今年一番胸に刺さった」本として挙げた人がいる。『明け方の若者たち』(カツセマサヒコ/幻冬舎)で、何者にもなれない若者の青春を描き、小説家としての第一歩を踏み出したWebライター・カツセマサヒコさんだ。
今回の対談は、そのカツセさんからのラブコールで実現した。小説を書くおふたりが、おたがいの著書を読んで感じたことは? 小説を書く上で大切にしていることとは? 対談の様子をお届けする。
「こういうのを書きたかった!」と悔しくなった
──おふたりは、面識はあったのでしょうか?
町田そのこさん(以下、町田) はじめまして、ですね。
カツセマサヒコさん(以下、カツセ) 本当に緊張しています。憧れに近い感覚だったので。
──カツセさんが『52ヘルツのクジラたち』を読まれたときの感想を、あらためてお聞かせください。
カツセ 自分の小説『明け方の若者たち』は、「みんなに届く物語になればいいな」と思って書きました。その見直し段階に入っているときに、『52ヘルツのクジラたち』を読む機会があって。そこに、自分が見落としていた視点がすべて書かれているような感覚があったんですよ。本当は「痛い」って声を上げたい人、泣きたいと思っている人がいたときに、自分はその人たちの存在に気づけてきただろうかと苦しくなった。声を出せない人たちの存在に気づける人が増えたらいいなという気持ちで、「こういうのを書きたかった!」と悔しくなりました。
小さいころの僕は、クラスの中心にいたわけではないけれど、中心の人たちについていこうと必死な人だったんですよ。『52ヘルツのクジラたち』を読んで、そのとき、クラスの端っこにいたあいつはどんな顔をしてたっけ、と思い浮かべてしまって。心ない言葉をかけてしまったことや、いじめに加担してしまったことが、僕にもきっとあったはず。自分の一番見たくない部分を見せられたような感じがしましたね。自分の中でフタをしてきた感情、自分の持っている罪にあらためて向き合えたのは、僕にとっては本当にいいことでした。
──町田さんも、カツセさんのご著書『明け方の若者たち』をお読みになっているんですよね。
町田 そうです。私、ずっと田舎に住んでいるので、都会にすごく憧れて育ったんですよ。都会の人って、華やかでおしゃれな恋愛をしているに違いないっていう、偏見の塊ではあったんですけど(笑)。カツセさんとは反対に、小さいころの私は、クラスの端っこにいる子どもだったんです。ずっと本ばっかり読んでいて、小学生のときにはいじめにもあいました。その時期に、「この本があったから明日もがんばれる」と思える経験があったので、今も、読み終わった誰かの背中を押してあげられる、もう一歩進もうと思えるようなものを書こうということは、デビュー当時からの目標にしています。
『明け方の若者たち』を読んだとき、私はスクールカーストの下から上を見上げている状態だったんですよね。カーストの上のほうにいる人たちって、なんの悩みもなくて、幸せに暮らしているんだろうなと思っていました。でも、その人たちも、焦りや寂寥感、なにか確かなものになりたいっていう、私と同じ感情を抱いているんだなということに気づかされて、ハッとするものがあったんです。できれば、20代前後の、こじらせている自分に読ませてあげたかったですね。「自分だけが苦しんでいるわけじゃない」という気づきになったのではないかと思います。
──カツセさんはWebライターとしても活躍されています。Webに書く文章と、小説は違いましたか?
カツセ Webの記事を書いているときとは、やっぱり違いますね。Webは、読者層はここ、PV数はこう、と狙っていく世界なので。本は、書店に並ぶという時点で、書店さん次第な部分もあるし、発想がちょっと違って見えますね。使う筋肉が違うような感覚はありました。
──町田さんも、長編小説ははじめてお書きになったんですよね。これまで書かれてきた連作短編と、感覚は違いましたか?
町田 そうですね。カツセさんが「筋肉が違う」とおっしゃるとおり、短編は短距離走、長編は長距離走のような感じです。私、ハンドメイドをするのですが、そちらでたとえると、ひとつの長いマフラーを編むのが長編で、小さいものを切り貼りしてひとつの大きな模様を作るパッチワークが短編連作といった感じでしょうか。
カツセ Twitterでお話したときに、構成はほとんど考えずにスタートしたとおっしゃいましたよね。ミステリに近いところもある『52ヘルツのクジラたち』を、プロット(あらすじ)なしで書き進めるのってすごくないですか?
町田 プロット、立てない(作らない)んです。今回も、「虐待とLGBTを出そう」というくらいの考えからスタートして、まず担当さんに「こういうものを書きたい」と説明するために、第1章だけ書き上げました。そのときに、書きたい要素をいくつか入れておいて、「あとで差し引きすればいいや」という感じで。1章まるまる書きながら方向性を決めて、次の章を頭の中で考えて、「いけそうだな」と思えば書いて…ということの繰り返しです。
ときどきは、ノートに書きたいシーンだけポンポンと置いて、それをどうつなげていくかを考えますね。駅が3つくらいあって、「どのルートを通ってゴールまでたどり着こうか」と考える感じです。『52ヘルツのクジラたち』に関しては、「虐待に苦しんでいる登場人物をどう助けるか」という現実的な答えを、絶対に自分で見つけようと思いました。
カツセ 僕は先に、1冊を読むときの読み手の感情を、「ここで気持ちが落ちる、最後には救われる」という紐1本のグラフにして、どうしたらこの落差を作れるだろうと考えたんです。主人公が「挫折を味わったことのない人物」だということだけは決まっていたので、中盤に主人公の大きな挫折を持ってくるために、序盤に幸せなシーンをたくさん描いて、終盤は挫折から這い上がる過程をリアルに書こうと考えて、ストーリーを作っていきましたね。
読んだあと、物語を現実に引きずって考えてくれることが一番いい
カツセ 僕は、町田さんの小説の、登場人物が簡単にハッピーにならないところが好きなんです。『52ヘルツのクジラたち』でも、最後に主人公たちが選んだ道って、ぜんぜん楽なものじゃありませんよね。ラストで、急に「ふたりはこうして幸せに暮らしました」という話にならないところが、すごくいいなと。
僕も、『明け方の若者たち』を書いていて、「主人公は最後には転職してハッピーになりました」で終わりだと、読者を裏切ると思ったんですよ。同じような経験をして、悩んで、何者にもなれないまま生きている人たちに、「この主人公、何者かになったやん!」みたいに思われてしまったら、絶対にいやだなと思って。最後までちゃんと現実的でいるということは、すごく意識していました。
町田 最終的に、ファンタジーな終わり方にはしないというところは似ていますね。私も、『52ヘルツのクジラたち』は、児童虐待について、「こういう救い方もあるよ」という自分なりの回答のひとつだという気持ちで書きました。だから、読んでいる人が「もっといいやり方がある」と思ってくれたらいいですね。読んだあと、読者さんが物語を現実に引きずって、どうすればよいかを自分なりに考えてくれることが、私は一番いいと思います。
──おふたりが小説を書くようになったきっかけは?
町田 本格的に書き出したのは、28歳のときです。本は好きでしたし、学生のころは「小説家になりたい」と夢見ていたのですが、生活に追われてしまって、一度は小説を手放しました。一方で、私、氷室冴子さんがすごく好きで。私も小説家になって、氷室さんに「あなたのおかげで作家になれたんです」って言うのが夢だったんですよ(笑)。その氷室さんが亡くなったとき、「私、作家になって、氷室冴子さんにお会いするのが夢だったな」と思い出して。
当時、私は専業主婦だったのですが、わりと自分に倦んでいて、「このままでいいのかな」と思っていた時期だったんですよ。そんなとき、憧れの人が亡くなって、こんなことをしていていいのかって…夢の半分だけでも叶えよう、絶対に小説家にはなろうと思って書きはじめました。
カツセ 僕は、兄が小説家になりたいと言っていたんです。僕は兄が好きだったので、その兄が目指している小説家とは、すごい職業なんだろうなと思っていました。だから、本を出すということについて、プレッシャーがあったんですよ。
でもSNSでフォロワーが増えると、本を出す人ってけっこういるんですよね。2015年くらいには、僕の友だちもみんなライトエッセイを出しました。Amazonのおすすめタイトルが、ぜんぶ僕の友だちの本になっちゃうような状態で(笑)。ただ、僕には「こんなに簡単に本が出せていいの!?」という感覚がありましたし、「ライトエッセイを書きませんか」というご依頼は、ずっとお断りしていたんです。
僕にとって、“本を出す人”とは、兄の夢だった“小説家”で、“本”とはずっと残るもの。他人の夢を担うことになるし、ずっと残るものを書かなければという気持ちもあって、気安く筆を取ろうという気にはなれなかったんです。ところが、Webのお仕事で、短いストーリーを書くことが増えてきて。「これなら長編もできそうですね」と言ってくださったのが幻冬舎さんで、「やるならちゃんとやらなきゃ」と思って書かせていただいた本が、『明け方の若者たち』です。
──おふたりの中で、“小説を書くこと”とは、どういったものなのでしょう?
カツセ 「書かないと生きていけない」という作家さんがいらっしゃいますが、僕はぜんぜん、そんなふうになれないなと思っています。最近は、小説世界というものに対して、どこまで深いところに行けるだろうということを考えていますね。自分がどれだけその世界に入り込めるのかが知りたくて、好奇心から書いているんだろうなと。
町田 ときどき、「作家としてうれしかったことと、つらかったことはなんですか?」と聞かれるのですが、私、楽しいばっかりなので…真の苦労を知るのは、これからなのかもしれません。「作家とは?」と訊かれても、偉そうなことは言えそうにないです(笑)。この状態が長く続くように、がんばるしかないですよね。
カツセ すごいなあ。延々と書けそうですか?
町田 書けないときもありますが、そういうときは書くのをやめて、2日間くらいずっとお酒を飲んでいたら、3日目くらいに書きたくなるんですよ(笑)。そういうときは、自分の中がパンパンになっているから、息抜きをするのかなと思います。書けない、つらい、みたいなことは、まったくないんですよね…。
カツセ 書きたいテーマも、どんどん湧いてくる?
町田 そうですね。ひとつのお話を書いたら、「ここをもっと掘り下げたいな」と思う部分が出てくるんですよ。書いているときは書き切った気持ちでいるのですが、書き終わって読んでみると、「こうじゃなかった」「もっと書きたいのは別のところだ」「もっと掘ればよかった」ってね。
カツセ ひとつのお話を書いたときに出てくる、未練とでも言うんでしょうか。「この部分にもうちょっとフォーカスできないか」といったことが、次につながるんですね。
町田 そうなんです。書いている途中で、「ここはさらっと処理してしまったけれど、もっと掘り下げて、これで1本書くべきじゃないか?」ということは考えますね。書いている限り、次の書きたいものに目がいくと思うので、きっと大丈夫です(笑)。
140字のツイートでは収まらないから、僕たちは小説を書いている
──おたがいの、次に書くテーマが楽しみですね。
町田 でも…テーマって、「愛と死です」みたいに決めていらっしゃいます?
カツセ 決めませんね。それよりも、シーンじゃないですか? 「こういうシーンを書きたいな」という意識が、さきほど話題に出てきた“駅”ですよね。駅は見えているから、物語という“線路”でつないでいくと、最終的に“井の頭線”みたいなものができ上がって、はじめて「こういうテーマでした」と言える気がするんです。
小説を書いているとき、飲み会なんかで「実は小説書いてるんだよね」と言うと、みんな「どんな話?」って聞いてくるじゃないですか。だから僕も、「えーと、主人公がこんな感じで…」ってベラベラしゃべるんですけど、とてもひとことでは言い表せないんですよね。ぜんぶ書き終えてみて、ようやく「こういう小説です」と言えるようになるというか。
町田 本当にそうです。私も、「作家だから」というよりは、口下手で、伝えたいことを少ない文字では伝えられないから、こんなふうに何十万文字もかけて書いているんですよね。
カツセ 短く言えたらツイートするわ、っていう(笑)。
町田 「人ってやさしいね」とか(笑)。それで言いたいことを言い切れるなら、ツイートでいいんですよ。無理だからこそ、これだけの分量が必要なんです。
カツセ 今のお話で、わかったような気がします。僕、本を書きはじめたときからTwitterの投稿数がどんどん減っていて、どうしてだろうと思っていたんですが…140文字では収まらないものを書いてるからだったんですね。
──SNSでは語れないことを、次の作品にしていく。だからこそ、おふたりのファンの方たちは、次の“本”でしか読めないことを、より楽しみにされているかもしれませんね。
カツセ 僕も、町田さんの書くものが楽しみです。
町田 私も楽しみです! がんばります。
取材・文=三田ゆき 写真=山口宏之
町田そのこ(まちだ・そのこ)●1980年、福岡県生まれ。2016年、第15回 女による女のためのR-18文学賞 大賞を受賞。著書に『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』『ぎょらん』(ともに新潮社)などがある。
カツセマサヒコ●1986年、東京都生まれ。大学卒業後、一般企業に就職。趣味で書いていたブログをきっかけに編集者・ライターに転職し、SNSで人気を博す。2020年、『明け方の若者たち』(幻冬舎)にて小説家デビュー。