なにも信じられなくなっても、本によって“生きる”ことができると知った【読書日記33冊目】
公開日:2020/12/14
2019年12月某日
目を覚ます。外が白んでいるからどうやら朝だ。目だけで辺りをおそるおそる見渡す。私はどうやら生きていて、私はギリギリ「私」であるようだということに安心する。
ある時間の記憶がブツッと切れていることに後から気づくならば、まだいい。ハッと気がつくと知らない場所にいることも増えた。どうして、どうやって、ここに来たのかも思い出せない。シラフなのに。ましてやクスリをやっているわけでもないのに、目の焦点が合っていなくてフラフラしているという理由で、道端で職質されることも増えた。
こちらが“黒”だと決めてかかってくる警官に「大丈夫ですか」と詰め寄られて、いっそ「大丈夫じゃないです」と言いたくなる。大丈夫かどうかなんて、自分にだってわからないのだ。たとえば、激昂した瞬間に意識が飛んで人を刺したらどうしようと思う。本当に、何も覚えていないのだ。私が「私」ではない。知人は私の名前を呼んで、私のPCには私宛のメールが来るから私は「私」をギリギリ繋ぎとめていられるけれど、私は連続していない。非連続の私。お前は誰だ。
10月頃に起きた出来事が決定的な要因になって、しかし、それ以前の“暴力”が積み重なって、私は完全に、文字通り、粉々になってしまったようだった。そのショックな出来事に近いシチュエーション、たとえばそのときに乗っていた路線の電車に乗るとか、その人の名前を見聞きするとか、とりわけ人を好きになるとか性的なシチュエーションになるとおびただしくもおぞましいフラッシュバックの後に記憶がボーンと飛び、目が覚めたときに気絶していたことに気づくのだった。もう人と性的な接触を持つことはおろか、人を好きにもなれないかもしれない。
誰かを頼りたかったし、手を差し伸べてくれる人もたくさんいるはずだった。けれど、「通りすがる人は皆、私を殺そうとしている」という虚妄と、「意識を失っている間に身体は起きていて誰かに危害を加えるのではないか」という恐怖から、仕事以外での人との接触を極限まで断った。
映画は見るのが怖く、音楽を聴くだけで叫び出してしまいそうで、しかし何もしないのも恐怖と孤独で気が狂いそうだった。そんな私の“話し相手”になってくれたのは、本だった。
本は人間と違って急に殴ってきたり、嫌なことを言ってきたりしない。映画のように大迫力で迫ってくることも、音楽のように身体の中に流れ込んで体内の旋律をガチャガチャとかき乱すようなこともしない。嫌なら読むのをやめていい。けれど、いつまでも本は待っていてくれる。本と猫だけが心を許せ、寄り添ってくれた存在だった。
本には口がないことになっているが、私は本と、あるいは本を通して私と会話していた。読書とは宙に浮いた透明な私の輪郭をかたどるリハビリだった。
*
そんな当時のことを思い出させてくれた本がある。それが、『病と障害と、傍らにあった本。』(里山社)だ。
本書は、病や障害の実情と、その傍らで心を通わせた本に関する12人の著者によるオムニバス・エッセイ集だ。
先天性の感音性難聴、潰瘍性大腸炎、全身の筋肉が徐々に衰えていく筋ジストロフィー、双極性障害……さまざまな病や障害の当事者や介護者が登場するが、たとえば同じ病気にかかっていたとしても、近しい状況にあったとしても、ひとつとして同じ物語はない。それを誰一人として同じ人間はいないと捉えることもできるし、同時に誰かと分かち合うことのできない孤独の深さを浮き彫りにしているともいえる。
個々の病気や想いに重点を置くだけならば、病や障害をテーマにした手記で事足りるかもしれない。しかし、病や障害の実情とあわせて「傍らにあった本」を紹介することに本書のオリジナリティと“狙い”があったのだと、私は思う。
その“狙い”を色濃く感じたのは、和島香太郎さんのエッセイ「てんかんと、ありきたりな日常」を読んだときだった。
中学3年生でてんかんと診断された和島さんは、映像の世界を志して進学した京都造形芸術大学でドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんに出会い、自身もドキュメンタリー映画制作を始めることになった。当初はてんかんを患った主人公の病の苦しみをテーマにしていたが、さまざまな経験を経て、表現のかたちが徐々に変わっていったという。
その変化のきっかけとなったのが、師事していた佐藤真さんの著書『日常という名の鏡』(凱風社)だ。同書の中には、テーマ主義のドキュメンタリー映画に対する批判がこんな風に書かれている。
人は社会問題やテーマのために生きているのではない。いかに社会的テーマをかかえていようと、人の日常はありきたりなものだ。逆に、社会問題やテーマに合致する特別なところだけを、“普通”(※引用元では傍点)の暮らしの中からピックアップすることによってはじめて、社会問題が問題たりえるのだ。
この文章を受けて、和島さんは「てんかん患者の笑い声は社会に届きづらい」と話す。てんかんは確かに愚痴と悩みを伴う大きな悩みになりえるが、四六時中悩んでいるわけではないし、趣味や恋愛の話で盛り上がることもある。それでも、“勇気ある患者”に求められるのは、訴える怒声と涙だ。そんな状況に対して、和島さんはこう語る。
そういう表現が必要なのもわかるが、私はもっと別の、自分の歩んできた人生に沿うような形で、てんかんを抱えて生きる人の日常を表現したかった。
言葉を選ばずに言えば、怒りや苦しみといったネガティブな感情は飛距離が伸びる。もちろん、あえて怒って騒ぎ立てなければ社会を変えることができないといった側面もある。しかしながら、一面だけを押し出すことで零れ落ちてしまうものは少なくなく、場合によっては病気や障害にその人の全部が飲みこまれてしまうこともある。病気や障害がどんなに重く、大きな悩みとなっても、それらがその人自身に成り代わってしまうことはないのに。
だからこそ、本書では「傍らにあった本」をあわせて紹介したのではないだろうか。傍らにあった本の“生きた”感想を添えることで、その人の日常の部分に光を当てているのではないだろうか。
しかも、病気や障害も、本を読んだ感想も、かかった病、読んだ本が同じであってもふたつとして同じ想いはないという固有性の点において共通する。実際に、12人の著者のエッセイのどれひとつとして、共感を重ねるようにして読んだものはない。そこには、「他者がただ、いる」風景が、厳然と広がっていた。
わからないものは不安だから、つい「理解」したくなってしまうものだろう。だからこそ、「ただ、いる」を認める難しさと、それが成立する場面の希少さを思い知る。
ただし、自分の経験とやや重なる部分がひとつだけあった。坂口恭平さんが紹介していた『ベケット伝』上下巻(白水社)に関連するエピソードだ。
坂口さんは、どんなに体調が悪いときでも、小説家・劇作家であるベケットが苦しむ独白だけは読めるそうで、本書内のエッセイ「ごめん、ベケット」では、ベケットの苛烈なまでの自責と落ち込みを吐露した文章がいくつも紹介されている。そして、そのうちのひとつは坂口さんに「ダメダメ線」から抜け出すきっかけを与えてくれたという。
しかし、それで通常であれば、何もしない、という道を選んでしまいそうになるが、ベケット兄さんは違う。何もない、欲求もない、能力もない、基点もない、手段もない、対象もいない、でも、やる! と今の状態をそのまま変更せずに、でも行動はしてみる、それはリハビリなのではなく、むしろ、その行為を一生やっていくという覚悟は、鬱で苦しんでいる時に唯一見出せる覚悟かもしれない。
こうして坂口さんは「鬱に陥ることが恐ろしいこと」ではなくなり、「喜びがなくなってしまったからといって、それなら人生が終わりなんだとは思わなくなった」という。
近しい経験は、私にもある。
もう人と性的な接触を持つことはおろか、人を好きにもなれないかもしれないと思っていたとき、どうしても眠れない真夜中に破れかぶれになって友人に電話をかけたことがある。「私はもう人を愛せないかもしれない!」と思い詰めたように叫ぶと、たまたま深酒をしていたらしい友人は「俺なんか小さいときからずっとそうだよ。でも、死んでないから大丈夫」と言い、電話をガチャッと切られたのだった。
人によっては突き放されたように感じることもあるかもしれないが、当時の私はホッとした。不確実な「治る」よりも「治らなくても大丈夫」と言われるほうが底抜けの不安に下限の補助線を引いてもらったようで、安心したのだった。
私は結局、現存するヒトからも安心する言葉を受け取ったけれど、本を通じて同様の経験をすることもある。その意味で、本とは、人生の伴侶にもなりえるオリジナルな他者なのではないか。
*
あの頃の症状は完全には治っていない。
けれど、私は大丈夫だと思える。
机に向かう私の背後にある本棚には、私の味方がたくさんいるからだ。
文=佐々木ののか
バナー写真=Atsutomo Hino
写真=Yukihiro Nakamura
【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka