はっぴいえんど、YMOでの活動をはじめ、変化し続けてきた音楽家。星野源も影響を受けた細野晴臣の評伝! 執筆に8年を費やした労作とは?

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公開日:2020/12/17

細野晴臣と彼らの時代
『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介/文藝春秋)

 細野晴臣の名前に馴染みがない人でも、日本のロックの始祖とされるはっぴいえんどのベーシスト/ヴォーカリストで、坂本龍一、高橋幸宏とテクノ・ユニット=YMOを組んでいた音楽家、と言えば分かるだろうか。あるいは、星野源が憧れ、影響を受け、密な交流を持つに至った人、と言えば若い方もピンと来るかもしれない。

『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介/文藝春秋)は、73歳でいやまして旺盛な活躍を見せる細野の評伝である。幼少期からの細野の言動はもちろん、彼を取り巻く人物に粘り強く取材を敢行。100冊を超える雑誌や関連本をくまなくチェックし、細野はもちろん、その周辺で活動していた音楽家にも触れている。構想から8年を費やして書かれたものだというが、それだけの重みはある。労作、というのはこういう本のことをいうのだろう。

 本書を通読して実感するのは、細野が「常に変わり続けた音楽家」だということ。学生時代は主に英米のハード・ロックを英語で演奏していたが、はっぴいえんどでは一転、日本語詞でシンガー・ソングライター的なアプローチにも挑戦。さらには、聴きこむことも聞き流すこともできるアンビエント音楽にも傾倒した。

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 意外なエピソードも多々含まれる。精神世界にのめり込んでいた細野が美術家の横尾忠則とインドを訪れ、UFOを見たという。その横尾は、タイミングさえ合えばYMOに第4のメンバーとして参加するかもしれなかった、というのだ。もし実現していたら、と仮定せずにはいられない。

 細野はその一方で、松田聖子や中森明菜や森高千里などに楽曲を提供してきた。はっぴいえんど解散後、作詞家としてひっぱりだこだった松本隆とタッグを組み、良曲を量産してきたのだ。

 さきほど細野を「常に変わり続けた音楽家」と形容したが、言い換えると、細野の音楽は活動時期によってまったく異なるので、捉えどころがないという人もいる。だが、それこそが彼の音楽家としての個性なのではないだろうか。いつも「行き当たりばったりでやってきた」と細野は本書で述べているが、次々に未知の音楽に果敢にアクセスし、自家薬籠中のものとしてきたのだ。

 変わり続けてきた、というのは常に先駆者であったということでもある。あるスタイルの音楽で時代を切り拓くと、すぐまた未知の音楽へと飛びついていく。〈一度整理がついちゃったものには、もう興味がなくてね〉という細野の証言がそれを裏付けている。〈できあがってしまったというある種の安堵感、納得感、満足感。そうするとポテンシャルが下がるんだよ〉と松本は細野らとの活動を回想する。

 昨今日本のシティ・ポップが海外で再評価されているが、その屋台骨を支えていたのが、ティン・パン・アレーというグループだった。メンバーは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆。スタジオ・ミュージシャン的な立ち位置で様々なヴォーカリストのバックで演奏していた。

 細野らの音楽は海外へも伝播していった。ソフィア・コッポラの映画『ロスト・イン・トランスレーション』でははっぴいえんどの「風をあつめて」が効果的に使われていたし、本書によれば、デンマークやコスタリカ出身の外国人も彼らの曲を知っていたという。

 コロナの前のエピソードだが、新宿のゴールデン街に行くと、日本の音楽、特にシティ・ポップが好きで来日したという外国人をよく見かけた。国籍や年齢や人種が違っても、細野を軸とした人脈の音楽は聴き継がれている。そのタイムレスなサウンドは永遠に褪色することはないだろう。

文=土佐有明