フジテレビ元アナの笠井信輔さんががんと闘いながら生きる力を得た「引き算の縁」から「足し算の縁」への切り替え法
公開日:2020/12/28
フジテレビ元アナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活躍する笠井信輔さん。朝の情報番組『とくダネ!』に出演していた、といえば「そうだ! あの人だ!」となる読者が多いのではないか。
2018年、笠井さんは55歳にしてフリーになる決断をする。そして2019年9月、フジテレビを退社。フリーアナウンサーとなり、第2の仕事人生をスタートさせた。
…はずだった。この頃、笠井さんには心配事があった。どうも体調が思わしくない。頻尿なのにお腹に力を入れないと尿が出ない「排尿障害」があった。
病院に通ったが、どんどん悪化していき、さらには激しい腰痛も発症。そればかりか、外出中に失禁しておむつを購入して着用したり、夜中に痛みのために家族が心配するほど呻いたり、尋常ではない生活を余儀なくされた。診断は前立せん肥大だったが、薬を飲んでも一向に良くならず、病状は悪化の一途をたどる。
2カ月後の2019年11月、何度も検査を重ねた結果…ついに悪性リンパ腫という「血液のがん」であることが発覚する。全身にがん細胞が散らばっているステージⅣだった。
フリーアナウンサーとして一番大事な「スタートダッシュ」の時期に、進行がんが発覚した笠井さん。将来のこと、病気のこと、家族のこと。さまざまな思いが頭を駆け巡る。
一般的にがんの告知を受けると、病状が重いものであるほど、人は心を閉ざしてしまう。“死”という受け入れがたい現実に直面するうえ、周囲としても支えるには限界があるからだ。がんの苦しみは、がんになった者にしか分からない。
笠井さんも一時は絶望的な気持ちになった。しかし本書でつづられる「引き算の縁」から「足し算の縁」へのスイッチを切り替えることで、病と真正面から向き合った。
そして2020年6月、主治医から「完全寛解」が告げられる。完全寛解とは、がん細胞が体内から消え去った状態を指す。悪性リンパ腫に対して、勝利した瞬間だった。
『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』(笠井信輔/KADOKAWA)では、笠井さんが悪性リンパ腫と闘い続けた日々がつづられる。
本書が、がんを患う人々の、闘病の参考になるとは限らない。しかし気持ちの部分では、参考になるのではないかと思う。なにより“今のところ”がんと無縁の私たちにも通じる、大事な考え方があるように思う。
なんか、幸せだなあ
がんにかかってまず願うことは、生きること。がんを克服して、再び社会復帰を果たすことだ。しかし願いが叶ったとしても、闘病で生活や身体が一変して、人生が狂わされた人もいる。がんにかかることは、マイナスでしかないのか。がんと闘った日々は、無駄でしかないのだろうか。
本書に、印象的なシーンがある。2019年12月、悪性リンパ腫が判明して入院する4日前のこと。笠井さんの妻が「クリスマスイブは入院中なので、一足早くクリスマスパーティーをやろう」と発案し、笠井さんの家に3人の子どもたちが集まった。久しぶりの家族団らんだった。
笠井さんのように、世間に広く知られるアナウンサーになると、仕事が本当に忙しくなる。出演する番組がいくつも重なることがあれば、事件や災害が起きたとき現場に駆けつけなければならない。アナウンサーは華やかなイメージがある一方で、人生が仕事に染まるほど過酷な世界でもある。
だから笠井さんは、この日の家族団らんをこうつづった。
「なんか、幸せだなあ」
今までは仕事ばかりで、家族を顧みる機会が少なかった。がんにかかったからこそ、家族団らんの機会に恵まれたのかもしれない。
がんになって良かったとは思いません。でもがんによる「貯金」がこの日また一つ増えました。
その先にはご褒美のように楽しい日々が待っています。
2019年11月、笠井さんはインスタグラムとブログを始めた。そこで投稿されたのは、入院以降、がんと闘う“ありのままの姿”だった。
特に抗がん剤治療が始まってからは、「しんどい。体に鉛を入れられたよう。何もしたくない。考えたくない」「なんでこんな辛い目にあうんだろう。もう、いやだ」など、がんを患う人にしか分からない投稿が続く。そして写真には、抗がん剤の副作用による苦悶の表情や、髪の毛が抜けていく様子など、言葉にしがたい様子が写っていた。
それでも笠井さんは「負けないぞ」と自分を鼓舞して、東日本大震災で話題になった「明けない夜はない」という写真を投稿して、どれだけ辛くても前向きな闘病生活を見せた。そんな姿に、多くの人がコメントを書くようになる。本書で紹介されるコメントの一部を抜粋したい。
今は辛くてしんどいと思いますが、その先にはご褒美のように楽しい日々が待っています。辛いときはずっと寝てたっていいんです。
私もしょっちゅうなんでこんなきつい思いをしないといけないんだろう?と思います。明けない夜はないの写真に涙が出ました。まだ死にたくありません。がんばりましょう!
現在進行形でがんと闘う人とみられるコメントも多くある。笠井さんが投稿することで、誰かの生きる励みになったのだ。そのお礼の気持ちとしてコメントをつける。
今度はそれを見た笠井さんが励まされる。温かな連鎖が起きるようになった。そればかりではない。温かな連鎖は、小さな奇跡も起こした。
引き算の縁と足し算の縁
あるときブログに、阪神淡路大震災の直後をレポートしたときの記憶をつづった。驚くべきことにそのコメント欄に、「自分の誕生日が嫌い」という人が現れる。
その人は阪神淡路大震災が起きた1995年1月17日に生まれたそうだ。だから多くの人が悲しみで暮れる日にお祝いなんて「不謹慎だ」「そんな甘え腐った考えをするくらいなら、代わりにお前が死ねばよかった」と、周囲から罵られて育ったという。
想像を絶する内容に言葉を失うが…またも驚くべきことが起きる。「生まれてきていけない命なんてありません」「あなたのことを大切に思ってくれる人がいますよ」と、コメントを読んだ人たちが、次々と励ましの言葉をかけた。
これを奇跡と表現せずに、なんと言おうか。賛否あるSNSでも、こんなに素敵な出来事を起こせる。
笠井さん独自の考え方に「引き算の縁と足し算の縁」がある。これは、東日本大震災が起きたとき、レポーターとして被災地を訪れて得た人生観だそうだ。『とくダネ!』で笠井さんが述べた言葉を抜粋したい。
私は東日本大震災の時に得た経験を今、強く感じています。(中略)東日本大震災で当初、被災者の皆さんは、「あの人が亡くなった、この人が行方不明になった」と失った縁のことを引き算のようにして数えていました。でもある時から「避難所であの人に会えた。病院でこんな先生と、ボランティアの方と知り合えた」といった足し算の縁を語る人が増えてきて、そうした人から復興の中心人物になっていったんです。そのスイッチの切り替えというものはとても大事で、実は僕は、がんとわかって「あの仕事なくなった。この仕事もなくなった」と山のような仕事のキャンセル、引き算ばかり考えていたんです。でもこれからは、新たな出会いがいくつもあるはずなんです。病院、あるいはオンライン上の皆さんとの出会いといったものなどを大切にして、「この病気になったので、こうなれたんだ」と言う自分に気持ちを切り替えて生きていこう、闘ってこうと思っています。
悪性リンパ腫にかかったことは、決してよかったとはいえない。絶望的な気持ちになり、命を削ってがんと闘った。どちらかというとマイナスのほうが多かっただろう。
しかし久しぶりの家族団らんや、ブログのコメントで起きた奇跡のように、がんになって気づいたことや出会えた縁がある。たとえどん底の中にいても、確実に自分の中に積み上げられるプラスがある。笠井さんはこの「引き算の縁」から「足し算の縁」へのスイッチの切り替えを「生きる力」に変えて、がんを克服した。
本書が語る「生きる力」には、私たちの人生をよりよいものへ変えるヒントがある。今がどれだけ辛くても、今を変えられるきっかけは自分の中にあるものだと、気づかされるのだ。
文=いのうえゆきひろ