自分は自分にしかなれない――。「嫉妬心」と向き合う小説『どうしてわたしはあの子じゃないの』

文芸・カルチャー

更新日:2021/1/6

どうしてわたしはあの子じゃないの
『どうしてわたしはあの子じゃないの』(寺地はるな/双葉社)

 すぐれた誰かがそばにいると、自信が揺らぐ。他者との比較によって自分の価値は変動する。この比較軸を自分が決めてしまっていることに、なかなか当事者は気付けない。もしも誰かの視点で自分のことを観察したら、自分でも気付けない価値を見つけられるかもしれないのに。寺地はるなさんの『どうしてわたしはあの子じゃないの』(双葉社)は、その“もしも”を体験させてくれる。

 田舎の文化や家族の粗暴さに嫌気がさし、上京を夢見ている中学生・天。その天に想いをよせる、顔がよくて人気者の藤生。その藤生を目で追いながら、藤生から愛される天にあこがれる、東京生まれのかわいい令嬢・ミナ。天は藤生とミナの顔や家族を妬み、藤生は天があこがれる東京を嫌い、ミナは慣習にこだわらない天を羨んでいた。学校卒業を機に、未来のそれぞれに宛てた手紙を書く三人。その手紙は東京に戻るミナの手に託され、三人は別れを告げた。時は流れ、三十歳になった天のもとに、ミナから「あの手紙を三人で読もう」と誘いの電話がくる。それぞれ別の場所で人生を歩んでいた三人は、手紙を理由に再会することになる。

 この物語をあまずっぱい三角関係を描いた青春物語だとはまとめたくない。というのも、三人それぞれの視点から見た相手の描写は、読んでいて胸が苦しくなるほどの羨望や妬みであふれているからだ。そして、この感情が相手への理解を妨げる要因になる。読者だけが三者三様の痛みを知り、自分のことで精一杯の三人は相手の心の中など知るよしもなく、すれ違う。

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 このもどかしさは誰もが人生で経験したことのあるものだと思う。すれ違って相手に伝えることのできなかった想いや悔いは、やがて心の奥底にしまわれてしまうだろう。痛みを伴う過去は、日常の中では思い出さない。けれど、この作品を読むと、そういう封印していた過去が呼び起こされる。登場人物たちが勇気を振り絞って、過去に向き合おうとしているからだ。

 また、物語の背景として描かれる田舎の人物描写や慣習の多くは、多様性を受け入れない閉鎖的なコミュニティの問題点を生々しく描いている。子を軽視する親、女性を軽視する男性、部外者に対しての冷遇、育ちによる人格否定……。その全てをオールドな考え方だと笑える時代になればいいが、今もなお、これらは私たちの社会に色濃く残っている。

 こうした周囲の環境が原因で自己否定を繰り返し、もがいている人は、ぜひ本作を読んでほしい。生まれ育った場所や家族、自分自身の才能、性格。そういったものを捉えなおしていく過程を、この作品で追体験できるはずだ。「自分は自分にしかなれない」という事実を、絶望ではなく希望と共に受け入れる。それが、きっと“あの子”にはなれない私たちにできることだろう。

文=宿木雪樹