発達障害の新人研修医がぶつかる「生きづらさ」。障害と向き合い、受け入れることとは
公開日:2021/1/4
日本に約48万人、小児も「10人に1人はいる」とされている発達障害。人口減少や少子化が進む現代において、この数字は決して少なくないだろう。
『リエゾンーこどものこころ診療所』(ヨンチャン:著、竹村優作:原著/講談社)はそんな「発達障害」がテーマだ。作中では「発達障害」だけでなく「生きづらさ」「どこにもぶつけられない気持ち」を抱えた患者と、医師達との関わりがデフォルメされず描かれている。
本作は主人公の研修医・遠野志保が、教授から「小児科医はあきらめろ」と諭されるという急な展開で幕を開ける。
要因は志保にあった。自他共に認めるドジで早とちりな性格の彼女は、とにかくミスが多い。加えてその日は朝礼に遅刻するという大失態。教授に諭されるのも無理はない。病院は、医療従事者が起こす些細なミスや遅れで患者の命が左右されるシビアな世界なのだ。
もちろん臨床研修が終わりに近づいても、志保を受け入れてくれる次の病院は決まらない。唯一受け入れてくれたのは、遠く離れた地方のクリニック。普通なら二の足を踏んでしまうものだが、小児科医への道を諦めないと決めた志保は、児童精神科がある佐山クリニックで臨床研修を続けようと決意する。
今までのミスを挽回しようと意気込む志保。しかし研修初日、佐山クリニックの医師・佐山卓から告げられたのは予想もしない言葉だった……。
「歯止めがきかないところや、ドジで早とちりなところ……そういうのをひっくるめて僕は、凸凹(でこぼこ)と呼んでいます。あなたは発達障害です」
あまりにも唐突すぎる指摘に、動揺を隠せない志保。ただ、もしかしたら彼女は薄々感じていたのかもしれない。その証拠に「初日から『あなたは発達障害です』と言うなんて失礼だ!」と怒るものの、佐山の言葉を否定しないのだ。
本作では、発達障害を抱えて生きる家族のリアルな現状とともに、自身も発達障害を抱えていると診断された「研修医・遠野志保」の成長や葛藤も描かれている。特に、第5話から第8話にかけて描かれる患者とその家族への対応には、感銘を受けた。
ある日志保は、看護師の川島とともに訪問診療するように佐山に頼まれる。本来ならクリニックへ来る患者が、予約時間になっても姿が見えないからだ。さっそく家へと向かった川島と志保。しかし、そこに広がっていたのは大量のゴミとその中でお好み焼きを焼く1人の少女・悠里、そして目の焦点が合わず下着姿で横になる父親の姿だった。
本来なら悠里は学校にいる時間のはず……、でもなぜか家にいる。床にはお酒の缶と薬が散らばっている。おかしな点が多々あるなかで1つ言えるのは、子どもにとって良くない環境が目の前にあるということだ。
しかし数日後、悠里の父親は以前とまったく異なる風貌でクリニックにやって来た。スーツを立派に着こなし、今の生活から脱却する意欲で満ち溢れている。悠里も、久しぶりの外出で落ち着きこそないものの明るく元気だ。志保はその変わりように少し驚くも「このまま仕事が見つかって、全部良い方向に行くんじゃないか……」と思い始める。ただ、物語は予想もしない展開をむかえてしまう。
悠里が万引きをしてしまうのだ。
電話を受け、息を切らせながら悠里が待つクリニックへ走る父親。そこにいたのは児童相談所の職員だ。そこで、悠里がまだ学校に行けていないことが明かされる。
万引きによって様々な現状が明るみに出た以上、おそらく悠里は児童相談所に一時保護され、父親と離れて暮らすことになるだろう。
ただ志保は、親子を無理やり引き離すことに反対する。たとえ結果は同じでも、悠里が抱えた思いを解き放ち、父親にその思いを伝えて納得してもらった方が良いというのが、彼女の考えだ。結果、悠里は志保に「父親と一緒にいたくない」と告げ、父親も悠里と離れて暮らし、改めて自分と向き合い前に進む決意をする。
父親に前を進む決意をさせたのは他でもない、志保がかけた言葉だ。同時にこれは志保自身に向けた言葉でもあり、彼女が発達障害を受け入れ一歩前に進んだ証でもある。彼女は父親にどんな言葉をかけたのか。本作を読んだとき、きっとあなたも志保が抱えてきた葛藤や研修医としての成長を感じ取れるだろう。
本作を読了し感じたのは、抱える障害と向き合い受け入れることの難しさと、周りが寄り添うことの大切さだ。もちろん、誰かが寄り添い一緒に向き合ったとしても、当事者や家族が障害を受け入れられるとは限らない。むしろ逆効果になることだって考えられる。
ただ皮肉にも、当事者ではない僕達ができるのは一緒に向き合い寄り添うことだけだ。それなら僕は、彼らに出来る限り寄り添い一緒に向き合いたいと思う。
冒頭でも述べたように、発達障害と生きにくさを抱えて生きる人は決して少なくない。僕達の目に見えにくいだけで、身近で辛い思いをしている人はいるはずだ。どうか、本書を読み終わっても「どうせ漫画の中の世界だ」などと思わないでほしい。そして今後も、発達障害への理解を深める本として読み続けてもらいたい。
文=トヤカン