人間のすべてを飲み込む新宿・歌舞伎町の知られざる姿 元カリスマホストが語る夜の街のリアル
公開日:2020/12/29
最近なにかと話題にあがるのが、夜の街。特にアジア最大級の歓楽街、新宿・歌舞伎町は、このコロナ禍で冷たい視線を向けられることもあるようだ。だが、ここは誰のどんな事情も受け入れ、1人の人間として再スタートできる場所。外にいては見えない、懐の深さがあるという。『新宿・歌舞伎町 人はなぜ〈夜の街〉を求めるのか』(手塚マキ/幻冬舎)は、そんな歌舞伎町のリアルな姿が知れる1冊だ。
著者の手塚さんは、元カリスマホスト。19歳でホストの世界へ飛び込み、23年間、歌舞伎町で生きてきた。現在、経営者となった手塚さんが不夜城の中で見てきたもの――それは、挫折や孤独、欲望など人間のすべてを飲み込み、受け入れる夜の街の優しさだという。
肩書きも性別も過去も一切関係ない「新宿歌舞伎町」
意外かもしれないが、歌舞伎町では渋谷のような暴動が起きない。それは防犯カメラが多かったり、交番が近かったりすることだけが理由ではなく、住人たちが「共生はしないが共存はする」というスタンスを守っているからだという。ここではこれまでの過去や肩書き、性別などは一切関係ない。人々はみな、他人のテリトリーに対して敬意を持ちつつ、最低限のモラルを守りながら、自分のテリトリーを大事にしている。
そんな歌舞伎町で挫折と挑戦を繰り返してきた手塚さんは、この街を「目指す街」ではなく、「漂流した末に辿り着く街」だと語る。彼自身も歌舞伎町に流れ着き、街の魅力にとりつかれたひとりだ。
手塚さんはエリート高校出身。20代の頃は仕事以外で歌舞伎町にいることはほとんどなく、自分は本来ならこんな街にいるのではなく、一流大学を出て、一流企業に就職し、南青山に住むような人間なのだと思っていたそう。ホストクラブを経営するようになっても、いつも歌舞伎町の外に目を向け、街と距離を取っていた。
だが、30代となり、虚勢を張ることにも疲れた頃、初めて歌舞伎町のネオンの光が優しく抱きしめてくれているように感じ、考えが変わる。ここは自分を受け入れてくれている場所だと思ったのだ。
手塚さんの周囲には一般社会だと「変わっている」と分類される人が多くいる。例えば、友人のカヲルさん。カヲルさんは突然、お笑い芸人を目指し始めたり、ピカピカ光る大きな盆栽を作ったりと、いつも奇想天外。だが、彼の自由でぶっ飛んだ日常は、なんだか眩しい。この気持ちは本書内で語られる手塚さんの泥臭くもかっこいいホスト人生に触れると、ますます強くなる。ああ、「生きる」って、もしかしたらこういうことなのかもしれないと強く思わされるのだ。
そして、住人だけでなく、お店の運営スタイルもちょっぴり変わっているのが歌舞伎町の良さ。手塚さんいわく、何度行っても魅力を簡単に説明できないお店が多いのだそう。しかし、それは観光客ウケを重視するのではなく、日常的に使ってくれるお客さんに楽しんでもらいたいと店主が願っているから。ちょっと変わったオーナーと、そこを居場所にする客たちは、お店で何もかもを取っ払い「ただの人」として向き合っている。もしかしたら、歌舞伎町は人情の街とも言えるのかもしれない。実際、手塚さん自身もこの街で人に甘えることの大切さを学んだと言う。
“私は歌舞伎町に助けられたんだ。私は歌舞伎町で甘える力を身に付けたんだ。1人で生きていくことなんて絶対にできなかった。歌舞伎町で長く働くということは甘え上手になるということなのかもしれない。だから私は今も生きていられる。”
そんな感謝の念を抱いているからこそ、収束の気配が見えないこのコロナ禍で夜の街が軽視されやすくなっている現状に思いを馳せ、歌舞伎町の住人のひとりとして、こんな言葉を漏らす。
“誰でも受け入れるけど、誰に対しても無関心を装ってくれる歌舞伎町は、誰もが何者にもならずに彷徨える街だ。私たちは自らも彷徨い、そして彷徨っている人を受け入れて、お互い様で生きているのだ。”
人間の欲望を24時間飲み込んでくれる歌舞伎町には、ここでしか救われない人や学べないことも多く存在する。もしかしたら、誰もがいつかこの街に救われる日がくるかもしれない。そんな「もしも」を思い浮かべながら、いま一度、夜の街の在り方・守り方を考えていきたいと思った。
文=古川諭香