『どうしてわたしはあの子じゃないの』――閉鎖的な田舎の村で育った3人の男女、16年後の再会がもたらしたものとは
公開日:2021/1/7
『どうしてわたしはあの子じゃないの』(寺地はるな/双葉社)の、タイトルを見ただけでドキッとする。誰だって一度は「あの子みたいにきれいだったら」「もっとお金持ちの家に生まれていたら」「才能があったら」と夢見たことがあるだろう。あたかもみんなが平等かのように扱われる、子どもの頃なら、なおさらだ。
とはいえ、本作で描かれるのは、マウントをとりあうドロドロの人間関係では、決してない。自分なんかには手の届かない相手だから好きになったはずなのに、自分と同じ場所におりてきてくれない相手が憎らしくて、みじめになってしまう。相手を想う気持ちが少しずつ濁っていくことが、耐えがたく苦しい。そんな複雑な感情を、本作はさまざまな立場から丁寧にすくいあげて、描きだす。
閉鎖的な田舎の村になじめず、いつか東京へ出ていくことだけを夢見る中学生だった天。彼女にとって、東京からやってきて、村いちばんの権力者である祖父をもち、見た目の美しい人気者の親友・ミナは憧れの存在だった。幼馴染の美少年・藤生も、他の男子生徒同様、ミナのことが好きだと天は思いこんでいるけれど、実は彼が好きなのは天。ミナは、そのことを承知しながらも、藤生に一途な想いを向けていた。
物語はそれから16年後、30歳になった天のもとにミナから電話がかかってくるところから、動きはじめる。とある事件をきっかけに中断していた村の祭りが復活することになり、さらに当時、20歳の自分たちに向けて書いた手紙が出てきたので、久しぶりに集まろうと提案されたのだ。そうして3人の想いはそれぞれ、2003年当時にさかのぼっていくのだが――。
3人の友情が崩れるきっかけともなった事件の真相、手紙に書かれた秘めたる想いなど、物語をひっぱる謎も読みごたえたっぷりなのだが、突き刺さるのはそれぞれが抱える鬱屈した感情の描写だ。
3人だけでなく、東京から田舎暮らしを求めてやってきた五十嵐という青年も、ミナの母親もみんな「自分は自分にしかなれない」ことに絶望している。だから「どうしてわたしは/僕はあの子/あの人じゃないの」と羨み、嫉妬している。でもそれは、他人になりかわりたい、という意味ではないだろう。足りないところを補うことさえできれば自分だって悪くない、と思っているから、みんな苦しいのだ。いつまでも足りないまま生きていくしかないのが「自分」なのだということくらい、身に沁みて知っているから。
ないものねだりしたってしょうがない、なんてことは読んでいる私たちも、天たちもみんな、わかっている。それでも、羨み、嫉妬し、もがかずにはいられないのが「生きる」ということなのだろう、と読んでいて思う。天たちも、そうして16年を生きてきた。足りないままの、自分なりに。その生き抜いてきた実績が、彼女たちを救っていく。そうして、嫉妬するほど誰かの美点を認めている、というそれじたいが、他者を救っていくことにもつながっていく。
だから私たちも、嫉妬にまみれながらもただ生きていけばいいのだと、そっと背中を押してもらえたような気がする。
文=立花もも