“嫌い”に対する敬意/巴奎依の社会不適号⑮

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公開日:2021/1/15

巴奎依
撮影=山口宏之

「好きの反対は無関心」とはよく言いますが、
本当にその通りで、私は興味のないこと・関心の持てないことが比較的多いです。

人が楽しそうに話す噂話にも、芸能人の不祥事にも、興味が湧きません。
右の耳から左の耳へ通り過ぎていってしまいます。

こんな言い方をするとあまりにも自己中心的かもしれませんが、他人にまったく興味を持てないし、自分にしか興味がないんです。

私には”他人”が多いんです。

だから、人からの評価があまり気にならないのかもしれません。

これは私のせっかちな性格がねじれ、ひねくれた結果だと思っているのですが、
せっかち故に、他人について考えることの大半をロスタイムだと思ってしまう。

喧嘩をするにしろ、ミーティングをするにしろ、まず結論について考えないとむずむずする。

ふわふわと話し合うことが、なんだか苦手です。

そんなロスタイムを減らして生きる代償として、興味や関心のアンテナまでもが一緒に減ってしまったのかもしれませんが
その分、”嫌い”に対する愛情はとても深いです。

“好き”に関しては、何故か理由の見つけられない本能的な好きが多いので、そこに対する愛情はあまり深くないかもしれないのですが

“嫌い”についてはもうずっと、何時間も何日も思考を費やして、理論的に結論を出します。

何故嫌いなのか、何がきっかけで嫌いだと感じたのか。

それが“嫌い”に対する敬意だと思うし、その敬意を大切にすることが、私のポリシーです。

そもそも“嫌い”はマイナスな感情なんだから、明言するためには対価が必要だと思っていて

「分からないけど嫌い」「なんか嫌い」は完全にマナー違反だと思うんです。

嫌いになるためには、そして嫌いでいるためには、
その対象について知っていないといけないし、何なら詳しいくらいの誠意が必要だと思うんです。

だから私は出来るだけ、絶対に、
本能が何となく嫌いだと察知したのなら、それについて詳しくなろうとします。

小学生の頃、自由研究があったと思いますが
小学5年生の私は、詳しくは知らないけど何となく怖かったスズメバチについて調べたレポートを、
小学6年生の私は、何となく本能で蛙が嫌いだったので、特に猛毒で恐ろしかったヤドクガエルについて調べたレポートを、
自由研究に提出していました。

今でも、当時まとめたレポート内容については良く覚えています。

そんな小学生が25歳になったわけですから、嫌いの対象について詳しくなるに決まっているんです。

もし、何故嫌いなのか、どんな理由で嫌いなのかを聞かれたときに
つらつらとそのわけを答えられるようにしておくことが、嫌いでいるための、嫌いな対象に払うべき敬意だと思うんです。

ともえ・けい
2012年よりA応P(アニメ“勝手に”応援プロジェクト)のメンバーとして活動をスタート。2020年8月2日に、A応Pを卒業。現在、インターFMにて毎週土曜28:30〜「DJサブカルクソ女の音楽解体新書」にてDJ番組を担当、2021年1月13日(水)にDJCD「A応P BEST DJCD PRODUCED by DJサブカルクソ女」をリリースするなど、「DJサブカルクソ女」としても活動中。社会不適合者(自称)。

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