「あんたが伝えてくれ。ここではひどいことが起きているんだ!」戦闘が始まったという知らせを受け、すぐに現場へ向かうが…/シリアの戦争で、友だちが死んだ④
公開日:2021/1/23
紛争地を中心に取材活動をする桜木武史氏がシリアでの体験を中心に綴るノンフィクション。紛争地取材を始めてからの大けがやシリアでの取材、大切なシリア人の友人を失った経験などを描き、なぜ戦場の取材を続けるのか、そこにはどんな悲劇や理不尽があるのか――。町中で知り合ったフリーのジャーナリストに「どこかの新聞社や通信社を紹介してほしい」とたのみこんだ…!
取材ができても間に合わない
実際、毎日のように「どこかで、誰かが殺されている」というニュースは耳にしていた。毎朝、路上の売店で売られている新聞を読むと分かる。新聞を読めば「インド軍がイスラム武装勢力のアジトを襲撃した」とか、「戦闘にまきこまれて、市民に多数の死傷者が出た」とか、物騒な話題がかならず紙面に掲載されていた。
カシミールにはイスラム教を信仰する人が多くいる。一方で、インドの大半をしめるのはヒンドゥー教の信者だ。そういった宗教の対立がカシミールの領土の帰属権をめぐる争いとからみ合って、インド軍とイスラム教の武装勢力がはげしく戦闘を続けている。
ぼくは新聞紙を投げ捨てて、どうしたら取材ができるのだろうかとホテルの部屋で頭をかかえた。そんなとき、ふとある考えがうかんだ。床に捨てられた新聞紙を拾い上げて、すみの方に目をやった。
「あった!」
思わず声を上げた。通信社の住所が小さく書かれていたのだ。冷静に考えてみれば、知りあいもいない土地で、駆け出しのジャーナリストがひとりで何かできるわけがない。まずは情報をくれる仲間が必要だった。そして、信頼できる情報を誰よりも早く手にしている人間といえば、地元の記者にちがいないと思った。このままでは、どこで取材したらいいかも分からないまま、時間だけがすぎていってしまう。ジャーナリストとしての一歩をふみ出すためには、やはり同業者をたよるのが一番の近道のような気がした。
ただ、住所が分かっても、なかなか訪れる勇気がわいてこなかった。何しろカシミールには10以上の新聞社や通信社がひしめきあっている。どれにしようかと迷っては、結局何もすることなく一日また一日と時間をむだにしていた。
そんなある日、町中でひとりの男性と知りあった。かれはフリーでジャーナリストをしていた。ぼくは思い切って、「どこかの新聞社や通信社を紹介してほしい」とたのみこんだ。かれは「お安い御用さ!」とこころよく引きうけてくれた。
古ぼけた建物には、[KPS(Kashmir Press Service)]の看板がかかげられていた。かれが紹介してくれた地元の通信社だった。事前に連絡を入れたわけではない。突然、しかも日本人が訪ねてきたらどう反応するのだろうか。おそるおそるドアを開ける。
「誰か、いますか? 日本から来たジャーナリストなんですが……」
「おっ、めずらしい客だな! ちょっとこっちに来いよ!」
そこにはジャーナリストやカメラマンが集まり、日本から来た見知らぬぼくを、こころよくむかえいれてくれた。簡単な自己紹介を済ませると、興味津々で記者のひとりが尋ねてきた。
「日本ではカシミールのニュースはどう報じられているんだ?」
その質問に、ぼくは口ごもりながら答えた。
「ほとんど何も伝えられていないよ」
記者は残念そうに肩を落としたが、すぐに顔を上げて口を開いた。
「だったら、あんたが伝えてくれ。ここではひどいことが起きているんだ!」
まだ駆け出しのぼくにそんなことができるのだろうかと不安だったが、まずは何が起きているのかを自分の目で確認するしかない。ぼくは「任せてくれ!」と胸をはった。それから、ぼくはこの通信社に毎日通うようになった。
最新の情報が通信社に飛びこんでくる。それらの情報をもとに、ぼくは地元の記者と共に現場に向かう生活が始まった。取材を重ねることで、ようやくカシミールで戦争をしていることを肌身で感じることができた。
ただ、これでカシミールの戦争を伝える記事が満足に書けたかというと、そううまくはいかなかった。特にむずかしいのが戦闘の取材だった。毎日のように起きているインド軍とイスラム武装勢力との戦闘は、都市から離れた田舎町で発生することが多かった。
戦闘が始まったという知らせが入ると、記者の誰かが車を準備する。ぼくはその車に一緒に乗せてもらい、急いで現場に向かう。車は時速100キロを超えた猛スピードで突っ走る。とにかく、情報が入ったら、一秒でも早く現場に到着することが良い取材をする条件だと記者の誰もが口を酸っぱくして言った。
荒い運転にヒヤヒヤしながらも、現場に到着するまでの間、ぼくは胸がざわざわと波打つのを感じた。ニュースの一報だけでは、何が起きているのかはっきりとは分からない。銃弾が飛び交うはげしい戦闘なのか、死傷者は出ているのか。不謹慎ではあるが、世界中を驚かせるような衝撃的な写真が撮れるかもしれない。1枚の写真が世界を変える。そんな人々の心を突き動かす写真が撮りたかった。
また、戦場ジャーナリストを志したぼくは、まず戦闘を自分の目で見て、報道したいという気持ちが強かった。そうすることで、ぼく自身の体験を通して、リアルな戦争を伝えることができると信じていた。
しかし、戦闘の現場に立ち会うのは簡単なことではなかった。現場に着いたときには、多くの場合、銃撃戦は終わっていた。そうでなくても、一般市民やジャーナリストが入らないように、軍が立ち入りや通行を禁止する「非常線」というものをしいていて、ぼくら記者たちも遠くからながめることしかできなかった。
もどかしかった。戦闘が起きてはいても、なかなかリアルタイムでは見ることができない。ぼくはカメラを首からぶら下げて、あわただしく行き交うインド軍の兵士の姿を見守った。銃声が聞こえても、非常線の外からでは何が起きているのか分からない。何をしにここに来ているんだろう。そんなもやもやした感情を抱えながら、ぼくはカシミールの取材をねばり強く続けていた。