買い物に行くだけでも命がけ…。スナイパーがどの通りにいるのかを知るには…/シリアの戦争で、友だちが死んだ⑫

社会

公開日:2021/1/31

紛争地を中心に取材活動をする桜木武史氏がシリアでの体験を中心に綴るノンフィクション。紛争地取材を始めてからの大けがやシリアでの取材、大切なシリア人の友人を失った経験などを描き、なぜ戦場の取材を続けるのか、そこにはどんな悲劇や理不尽があるのか――。軍が恐怖を与えるために住民を撃ち殺すという「スナイパー通り」で…。

シリアの戦争で、友だちが死んだ
『シリアの戦争で、友だちが死んだ』(桜木武史:文、武田一義:まんが/ポプラ社)

反体制派の町ドゥーマ

 2012年4月、ぼくはシリアの首都ダマスカスを離れ、ドゥーマという町に移った。そこは当時、ダマスカス周辺では唯一、政府の力がおよばない町として有名だった。数百人という少ない数でありながらも、「自由シリア軍」と呼ばれる武器をもった市民によって町は守られていた。ドゥーマでは反政府デモが堂々と行われ、市民の自由な発言が許されていた。秘密警察に逮捕される心配もない。

 しかし、政府に批判的な住民や自由シリア軍をだまって見過ごすほどアサド政権は甘くなかった。政府軍は町を包囲し、ときに戦車や装甲車で市内に乗りこみ、自由シリア軍とはげしい戦闘をくり広げていた。

 住みはじめて間もない頃、ぼくはこの町の仕組み、ルールを理解していなかった。ある日、買い物に出かけるために外出すると、不思議な光景を目にした。大きな通りにさしかかると、大人から子どもまで全速力でかけ抜けるのである。幅10メートルほどの道路を必死で走る姿にぼくは目を丸くした。

「ここをわたるときは走った方がいい。そうでないと、スナイパーに撃たれる危険性があるから」

 近くにいたおじさんがぼくに注意した。ちなみに、スナイパーはアラビア語で「カンナース」という。当時、アラビア語がまったくできなかったぼくも、「カンナース」だけはすぐに覚えた。それほど日常的によく耳にしたのだ。スナイパーはこの町では恐怖の対象だった。

 町を包囲した政府軍は突然、通りをわたる住民を撃った。スナイパーは、銃のスコープをのぞきこみ、数百メートル先の標的を撃ちぬく。映画やゲームなどで一度は見たことがあるのではないだろうか。撃たれる側は、まさか遠くからねらわれているとは思わない。

 なぜ、住民まで撃つのか。それは、政府にとってドゥーマで暮らす住民全員がアサド大統領に従わない「テロリスト」だからである。つまり、ぼくもこの町にいる限り、アサド政権から見ればテロリストと同じあつかいなのである。

 男性も女性も、お年寄りも子どももねらわれた。カバンをせおった小学生も、買い物袋をぶら下げた主婦も撃ち殺された。

 そして、スナイパーがいる通りは時々変わった。もちろん政府軍から知らせがあるわけでもなく、誰かが撃たれて初めて「この通りにはスナイパーがいる」と分かるのである。犠牲になる市民がドゥーマではあとを絶たなかった。ここは大丈夫だろうと思って油断をすれば、撃たれてしまう。たった一時の気のゆるみが生死を分ける。

 自由に反政府デモができるとはいえ、住民にとっては買い物に行くだけでも命がけなのだ。そんな生活がドゥーマでは何か月も続いていた。

 市内では白い布にくるまれた遺体を担ぎ、墓地に向かう大勢の人々を見かけた。大半が政府軍のスナイパーに撃たれて殺された一般市民だった。ぼくもそのひとりになるのかもしれない。そんな恐怖をいつも感じていた。

「住民に恐怖を植えつけるために、殺しているのさ。一般の子どもや女性が武器を持っているわけなんてないのに、政府を批判すればどうなるのか、そのことを分からせるために見せしめとして殺すんだ」

 ドゥーマで知りあった若者のひとりは怒りに震えていた。

 もしかれの言葉を、ネットやテレビのニュースなどで間接的に耳にしていたのなら、ぼくは信じられなかったかもしれない。町中を歩いているだけで殺されるなんてありえないでしょ、と感じてしまう。でも、ぼくはこの若者と直接言葉を交わし、かれと同じ場所にいるのだ。本当に見せしめで市民が殺されている。罪のない人々が多く殺されているのを自分の目で見た。

 若者の怒りはアサド政権に対してだけではなかった。それは、こんなにひどい状況でも手を差し伸べようとしない国際社会にも向けられていた。

「誰も助けてくれないさ。世界は見て見ぬふりだ。おれたちで何とかするしかない」

<第13回に続く>