銃撃戦が始まり、入居したばかりの部屋から出られない。突然、ドアをノックする音が…!?/シリアの戦争で、友だちが死んだ⑬
公開日:2021/2/1
紛争地を中心に取材活動をする桜木武史氏がシリアでの体験を中心に綴るノンフィクション。紛争地取材を始めてからの大けがやシリアでの取材、大切なシリア人の友人を失った経験などを描き、なぜ戦場の取材を続けるのか、そこにはどんな悲劇や理不尽があるのか――。軍が恐怖を与えるために住民を撃ち殺すという「スナイパー通り」で…。
優しいドゥーマの人たち
ぼくはドゥーマで、アパートを借りて過ごした。入居した翌日、とりあえず食料の買い出しのため、ぼくは外出することにした。しかし、ドアを開けた瞬間、銃声を耳にした。
「何だろう?」そう思いながら、もう一歩足をふみ出したところ、腹にずっしりとひびくような重低音が建物をゆらした。反射的にぼくは部屋に戻り、隅の方で息を殺した。外に出ないほうが良さそうだと直感した。
1時間経っても銃声は鳴りやむ気配がなかった。どうやら政府軍と、反体制派の自由シリア軍がたがいに銃を撃ちあっていることは想像がついた。こんな状況では買い物にも行けるはずがない。もちろん、引っ越したばかりで知りあいは誰もいない。冷蔵庫も空っぽである。「おなかが空いたなあ」と部屋でひとりうずくまるしかなかった。
トン! トン! トン!
銃撃戦がはげしさを増している中で、突然、扉をたたく音が聞こえた。政府軍の兵士だろうか、自由シリア軍の兵士だろうか。物音ひとつ立てないようにぼくは注意をはらった。この町に外国人がいれば目立つのは当たり前である。昨日入居したばかりだが、早くも何らかの疑いをかけられ、部屋に誰かが押しかけて来たのだろうか。そう思うと、嫌な汗がにじんできた。
トン! トン! トン!
しつこくドアをノックする音。それでも何も応えず沈黙を続けていると、何やらぼくに話しかけるような大きな声が聞こえた。アラビア語なので、ぼくには聞き取れない。どんな恐ろしいことを言っているのだろうかと想像してしまう。
しかし、このまま居留守を使っても、ドアを蹴破られるか、相手が銃を持っていれば鍵穴を撃ちぬくことも考えられた。ぼくは覚悟を決めて、そっとドアを開けた。
すると、昨日軽くあいさつを交わした、同じアパートで暮らす50代ほどのおじさんが、にっこりと笑って立っていた。悪いことばかりを考えていただけに、予期せぬおじさんの登場に、ホッとして胸をなでおろした。それと同時に、全身の力がぬけて床にすわりこんだ。
おじさんは手に抱えた紙袋をわたしてくれた。中を見ると、シリアではよく食べられるホブズ(パン)とチーズが入っている。戦闘のまっただ中にもかかわらず、おじさんはこの町に来たばかりのぼくを心配して、食料を届けてくれたのだった。
紙袋からホブズを取り出し、チーズをのせてほおばった。ぼくは無心で食べつづけた。気がつくと、いつのまにか涙を流していた。戦闘で外にも出られない、おなかを空かしているんじゃないだろうか、と心配してパンとチーズを分けてくれたのだろう。
本当のことを言うと、チーズは硬かった気もするし、塩辛くて、ちょっとだけ食べづらかった。でも、ただただ感謝の気持ちがこみあげて、涙が止まらなかった。このときに受けた優しさは不思議と忘れられず、いつまでも心に残った。
また、別の日にはこんなこともあった。
その日は買い出しに向かう途中、自由シリア軍と政府軍との戦闘が突然に始まった。めずらしいことではなかったけれど、外出していることもあり、ぼくはあわてふためいた。にげ場を探さなくてはいけないが、まだ土地勘がない。
銃声は次第にはげしくなり、武装した自由シリア軍がぞろぞろとぼくの横を通りすぎていく。早くにげなければと思っても、へたに動けば戦闘に巻きこまれてしまうかもしれない。
すると、若者が数人駆けより、ぼくの手を引っぱり始めた。かれらはどうやらぼくを安全な場所に連れていきたいようだった。だが、右手に若者がふたり、左手に若者が3人、それぞれが「この日本人はおれたちが助けるんだ」とぼくの手をつな引きのように強く引っぱった。
その間にも戦車の砲撃のような重いひびきが地面をゆらした。戦闘はすぐ目の前で起きている。それでも、たがいにぼくの手を離そうとしなかった。最初は笑っていたぼくも、さすがにこのままでは戦闘に巻きこまれるのでは、とあせってきた。
そこに自由シリア軍の車が急停車し、戦闘員のひとりが大声を張りあげた。たぶん「お前ら、こんなところでふざけてないで、さっさと避難しろ!」などと怒鳴りつけたようだ。その一言で、ようやくぼくは一方の手をにぎっていた若者に連れられて、かれらの自宅ににげこむことになった。
案内された民家に入っても、外のはげしい銃声と砲声がずっと聞こえていた。もし今、政府軍がこの民家に押し入ってきたらどうなるのだろうか。ぼくは政府軍の兵士に捕まり、「お前はこんな場所で何をしてるんだ?」とあやしまれるにちがいない。最悪、殺されることも十分に考えられる。
ぼくはおびえながら、まわりの若者たちと一緒に息をひそめていた。しばらくして戦闘が終わったのか、辺りは静けさに包まれた。ぼくが自分のアパートに戻ろうと腰を上げると、かくまってくれていた家のおじさんが優しく言った。
「まだ外は危険だから、ここでゆっくりしていきなさい」
そして、お茶とビスケットをふるまってくれた。アラブ人が客人を手厚くもてなす習慣は知っていたが、それは平和なときも、そうでないときも、同じだった。むしろ戦争をしているときにこそ、かれらは外から来た人間を、より守ろうとしてくれた。その優しさにふれると、先ほどまでの恐怖心はやわらぎ、不思議と消えてなくなった。
何かあっても、ここにいる人たちが助けてくれる。ドゥーマでの1か月の暮らしの中で、悲しいことや恐しいことはたくさんあったけれど、それを癒してくれるほどのたくさんの優しさがあった。シリアの取材を続けていこう。そうぼくは心に決めた。