他人に嫉妬するのは“汚い”行為なのか。“卑しい”人間のための倫理学【読書日記36冊目】
公開日:2021/1/25
2021年1月某日
唐突なようだけれど、私は過剰な人間だ。
たとえば、情念が過剰である。好きになった人への“愛情”が過剰ゆえに破滅に向かってしまう。人をひとたび恨むと何年にもわたって恨み続けてしまう。私怨や怒りがフレッシュな“今”の記憶として生き続ける。
最近はだいぶマシになったけれど、他人が持っている美しい容姿や才能をとくに羨む。大好きな友人が他の友人と楽しそうにしているのを見ると、男女の別なくちょっと嫌な気持ちになる。身が焦げそうなほどに嫉妬の炎を燃やすと何も手につかなくなるから、本を読んだり、ジムに通ったり、メイクの研究をしたりして、生産性のありそうなことにエネルギーを転嫁している。誰かのためではない、保身のためだ。
明るい人、やさしい人のほうが好かれやすいに決まっていて、根暗で性格の悪い私は人から嫌われがちな人間だ。それでいて、まだ人に好かれようとすることを諦めていないのだから殊更に卑しい。
よりよく生きられるならば、生きてみたい。私だって好んでこんな感情を抱えて生きているわけではないし、ときどきは自分の感情で自家中毒さえ起こす。けれど、高尚な生き方のために限りある人生を明け渡したいとも思えない。
そんな私がよりよく生きる方法はないのだろうか。
ダメな自分を申し訳なく思いながら、小さくなって生きていくしかないのだろうか。
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そんな私のように「弱くて卑しい」人に向けた倫理学の本がある。山内志朗さんの『小さな倫理学入門』(慶應義塾大学出版会)だ。
崇高で近寄りがたいイメージを纏う倫理学について、著者はこのように解釈している。
私の考えでは、倫理学は高潔なものではありません。規則としてあるのではなく、適用されるべき場面で、体臭のように体に染み込んで、洗っても拭いきれなくなったようなものしか、機能する倫理学にはなりません。染み込んだ倫理学であれば、末期の苦しみの中でも脱ぎ去ることはできないのですから。
私たちがイメージするような正義や徳を中心とする倫理学を「大きな倫理学」とすると、人間の弱さに眼差しを向け、人間を過ちやすきものとして捉えたものが「小さな倫理学」というわけだ。
本書では、愛や正義や欲望について、なぜ過去の記憶に悩まされるのか、偶然性とは何か、人生に意味はあるのか、〈私〉とは何か、といった倫理学が扱う基本的なテーマについて関連文献とともに易しく教えてくれる。
第3章「情念のない人間は倫理的なのか」、第14章「さらば、正義の味方」、第17章「人生に目的はない」、第18章「悪と暴力性、あるいはサディズムとは何か」など、サッと目を通しただけで「弱く卑しき」者が惹かれそうなタイトルに出会う。
中でも私が感銘を受けたのは、「嫉妬」についての考え方だ。
第2章「欲望の倫理学」では、欲望が人間の行動原理であることを前提に論が進められる。
人間は欲望まみれな存在で、欲望とは汚らわしいものだと一般的に考えられているが、実際のところ、人間は「欲望欠乏症」なのだという。自分の中に欲望が足りないからこそ貪り求め、自分の中に欲望を見出すことができないから、他人からこっそり盗んでくる。これこそが「嫉妬」だというのだ。
嫉妬というのは他者から欲望する機会なのです。(中略)他者がいなければ欲望を学習することはできませんが、その際、その他者はライバルとみなされ、憎まれ、攻撃性を向けられることになります。嫉みも攻撃性もない人は欲望を持ちにくい人なのです。あの人に負けたくない、と思える人は、欲望を学習する源泉を数多く有している人であり、豊かな欲望の体系を持っています。
己の嫉妬心の深さに目を向けるたびに忸怩たる想いになっていた者からすると、かえって恐れ多くなってしまうほどに褒めたたえられている。「嫉妬してしまう自分を咎めないほうがいいよ」と言われると何だか申し訳なくなるし、「嫉妬するなんてすごいね」と言われたらバカにされたと思うが、こんな言葉をかけてもらえたら、自分も捨てたものじゃないと思えそうだ。
「自分探し」や「高度消費社会」などを例に挙げながら、著者は欲望を徹底的に肯定していく。もちろん、悪に傾斜していく嫉妬や欲望も存在する。それでも、著者が欲望を肯定するのは、「欲望こそ金銭や物資・商品が流通するための原動力」だからである。
心地良くも力強い言葉の配列で欲望を肯定し続けた著者は、欲望を否定する倫理学について、最後にこうとどめを刺す。
欲望をなくすのではなく、黒部ダムのようにため込んで制御し、創造的に使用することが「道」ですし、これこそ禁欲なのだと思います。欲望を失った倫理学はミイラのようなものです。
*
情念や欲望は持つこと自体が“良くない”こととされがちである。少なくとも、情念や欲望を持つ人間は崇高な存在ではないだろう。しかしながら、人間とはそもそも弱くて卑しい存在ではなかったか。
最初から「天使」であれば、倫理学など学ぶ必要がない。弱くて卑しい人間が生きていくための「寄る辺」として存在するのが倫理学なのではないか。『小さな倫理学入門』は、そんなことを教えてくれる。
文=佐々木ののか
バナー写真=Atsutomo Hino
写真=Yukihiro Nakamura
【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka