京成立石の呑んべ横丁、三茶の三角地帯…「横丁」はこれからどうなる? 消えゆく路地裏の記憶に迫る!
公開日:2021/2/8
※書籍に掲載された表現を尊重し、当該記事ではそのまま使用しております。
私たちは、「横丁」についてどれだけ知っていただろうか? フリート横田氏の最新刊『横丁の戦後史―東京五輪で消えゆく路地裏の記憶』(中央公論新社)を読了後、そんなことを思った。
これまでの著書……たとえば『東京ヤミ市酒場 飲んで・歩いて・聴いてきた。』ではかつてヤミ市だった場所にルーツを持つ盛り場を、『昭和トワイライト百景』では消えゆく“昭和”の風景を追ったフリート横田氏。その中でもしばしば登場してきたのが、飲み屋を中心とした「横丁」だ。今作はいよいよ、その「横丁」に焦点をあてて書き下ろした一作となる。
言葉自体には耳馴染みがあるし、古めかしい建物の飲食店が立ち並び、夜な夜な酔客で賑わう……そんな光景が思い浮かぶ人も多いだろう。しかしそれらの「横丁」がどんな歴史を、どんなルーツを持つのかは、知らない人が大半なのでは。多くが戦後に成立し、前回の東京オリンピックを境に大半が消えていった「横丁」。数少ないそれらの“生き残り”に関して、フリート横田氏はひたすら歩き、飲み、人と話すことで解き明かし、記録していく。
上に挙げた過去の著書でも「横丁」は多数紹介されてきた。しかしこれまでのそれらと今作が圧倒的に違うのは、その場所を間口広く紹介する、いうなればガイドブック的なスタンスを排除し、しっかりとその現状と歴史に踏み込んでいった“ルポルタージュ”だというところだろうか。
京成立石の呑んべ横丁、渋谷ののんべい横丁、三軒茶屋の三角地帯……今まさにこの瞬間にも刻々と変わりゆく「横丁」たち。店主や客の世代交代、開発といった問題にどう立ち向かっているのか……それぞれの場所でその対応が微妙に違う部分も含め、“今”が見えてきて非常に興味深い。
そして、この本の特筆すべき部分を挙げるとしたら、「コリアン横丁」と「テキヤ横丁」、この2つについてかなりのボリュームを割いて紹介しているという部分だろう。その歴史や成り立ち、そして現状について、当事者以外の大多数の人たちはまず知らない。
それを著者は、「コリアン横丁」の章では、浅草2丁目のコリアンタウンを皮切りに、その内実を語ってくれる人をひたすら探し求めてゆく。やがてたどり着く、コリアンタウン成立にいたるまでの知られざる歴史や、当時の在日コリアンたちの置かれた状況。圧倒的な取材力で紡ぎ出される物語は、登場人物のキャラクターと相まってさながら大河ドラマのようだ。
もちろん、“物語”で回収できるようないい話だけでは終わらない。かつて密造覚せい剤が売られていたという話の真偽や、現在の在日コリアンたちと“北”と“南”の関係という、付け焼き刃では踏み込めない話についてもしっかりと言及されている。一体、どれだけの時間を彼らと過ごし、どれだけの人と話を重ねていったのだろう。
そのスタンスは「テキヤ横丁」でも同じだ。「テキヤ」の存在は、戦後のヤミ市や、横丁の歴史を語る上では欠かせない。今でもお祭りの露店という形で普段目にし、私たちにとって身近な存在だが、一体どういう仕組みの集団なのかは知らない人が多い。
横須賀中央駅前に広がる「若松マーケット」を舞台に解かれていく「テキヤ横丁」の章では、街の輪郭とともに「テキヤ」の歴史、実態について語られていく。そしてその中には、「テキヤと暴力団の違い」という項も。この実情に関しては、ぜひこの本を読んで判断してほしい。
この本は、現在進行形で発展している「横丁」である「エスニック横丁」と(これがまた面白い!)、今の若者たちを論じた章で幕を閉じる。ちなみに滔々と内容について紹介してきたが、けして“おカタい”本ではない。時に見込みが外れてただ泥酔するだけで終わり、時に自分の行動の是非について自問自答する。アカデミックな本ではまず見られない、そういったノイズがなんとも人間臭く、そして魅力となっている。
2020年夏の東京オリンピックが、街の変化を加速させていくのだろう……2019年の終わり頃には、少しの諦念とともにそんなことを思っていた。しかし約1年が過ぎた今、こんな形で街が疲弊していくとは想像もしていなかった。それでもそこに“人”と生活がある限り、街は、横丁は生まれていく……この本を読んでいると、そんな希望めいたものを感じられる。今だからこそ、読んでおきたい一冊だ。
文=川口有紀