世界で大きく目立つ中国の行動原理――アヘン戦争以降の近現代史にみる中国たりえる理由

ビジネス

公開日:2021/2/7

サクッとわかる ビジネス教養 中国近現代史
『サクッとわかる ビジネス教養 中国近現代史』(岡本隆司:監修/新星出版社)

 1990年代まで、世界の人々にとって中国は“発展途上国”というイメージがあったのではないか。しかし目を疑うような成長を続けた結果、今では世界の先進国を差し置いて、中心的な存在になった。経済力でも、軍事力でも、中国に対抗しうる国はほとんどない。

 そんな大国の隣に住む私たちだが、こんなに近いのに、彼らのことをあまり理解していないのが実情だ。現在の中国を詳しく知らないことで生じる疑問は、中国の歴史を知ることで解消できるかもしれない。『サクッとわかる ビジネス教養 中国近現代史』(新星出版社)を監修した、中国史学の第一人者で京都府立大学教授の岡本隆司さんは、こう述べる。

どうして中国はあのような行動をとるのか、やはり過去の経歴から考えてみるのが、理解の近道だと信じています。(中略)中国の今を知るには、アヘン戦争からコロナまで、現在に直接つながる近現代をひと通りつかんでおけば問題ありません。

 本書を読み通すと、たしかに中国に対する理解が深まった気がした。

advertisement

大国が揺らぐきっかけとなったアヘン戦争

中国近現代史 p.20

中国近現代史 p.21

 まずは本書で解説されるアヘン戦争以降の一部をご紹介したい。より正確な史実が知りたい人は、本稿をすっ飛ばして、本書の購入をオススメする。興味がある人ならば90分で読み通せるくらい、図解とイラストを織り交ぜてサクッと分かりやすく、軽快で面白いからだ。

 18世紀半ば、イギリスでお茶がブームになり、清(当時の中国)から大量に輸入するようになる。この商機を見逃さなかった清は、イギリスの足元を見てお茶の価格をどんどんつり上げていった。

 対価として支払った銀が大量に清に流れるので、貿易赤字を嫌ったイギリスは、なんとか回収できないかと考えた。そこで当時イギリスの植民地だったインドに、麻薬・アヘンを清に密輸させた。このときアヘンの対価として、銀を支払わせたのだ。いわゆる「三角貿易」である。

 イギリスの策略に怒った清はアヘンを取り締まり、さらに怒ったイギリスが「アヘン戦争」を仕掛ける。そして清は敗北。不利な南京条約を押しつけられた。ここから大国・清の低迷が始まることに。

不平等な条約に反発したら逆襲を受けることに…

中国近現代史 p.28

中国近現代史 p.29

 理不尽にも、戦争後もアヘン貿易が続けられたので、清はイギリスに大量の銀を支払うこととなった。もちろん負担を強いられたのは清の国民たち。希少な銀をかき集める“実質的な増税”に怒った国民が挙兵する。「太平天国の乱」である。これは皆さんも教科書で習ったのではないだろうか。

 清は、国内の反乱を鎮めることに苦労した。そんな最中、イギリスと清の間でアロー戦争が勃発。南京条約に満足していなかったイギリスが、再び戦争を仕掛けたのだった。

 このときイギリスはフランスに共同出兵を要請。太平天国の乱を鎮めるだけでも手一杯の清は、敗北を予感して譲歩する。そして仲介役となったアメリカとロシアを含める4カ国と、「天津条約」を締結。

 しかし国民の「なぜそんな不平等条約を結んだのか!?」という不満が高まり、清軍はイギリスとフランスの艦隊に砲撃。もちろん両国の怒りを買い、逆襲とばかりに、もっと不平等な「北京条約」を締結することになる。その後に待っていたのが、「日清戦争」だった。

半植民地状態となり、消滅した清王朝

 戦争で連戦連敗した清は、改革の必要性を感じた。ところがなかなかうまくいかない。同じ頃、朝鮮で甲午農民戦争が起きて、日清戦争に発展。当時勢いのあった日本軍に対し、清は敗北する。清は日本に多額の賠償金を支払うことになったが、戦争を続けてきた結果、金がなかった。

 そんなときイギリスやフランスをはじめとする列強の国々が金を貸してくれたのだが、その代わりに彼らは清からどんどん土地と利権を奪っていってしまった。現実の戦争は、フィクション作品よりドロドロしていて驚くばかりだ。

 もはや半植民地状態になった清では国民の不満が爆発。各省が独立を宣言する「辛亥革命」が起こり、ついに約300年続いた清王朝が終わりを告げ、中華民国が誕生したのだった。

効率的な統治を目指した弊害

中国近現代史 p.100

中国近現代史 p.101

 このあとも中国は戦争と内乱を繰り返し、政党同士のぶつかり合いを経て、現在の中華人民共和国が誕生する。そしてここからは、本稿の冒頭で述べた答え合わせの時間である。

 なぜ中国は富裕層と貧困層の格差が大きいのか? それは、そもそも中国は土地が広大で人口も多いので、国民が反乱を起こしてしまうことがあった。事実、アヘン戦争以降のわずかな時間でも、国民は何度も反乱を起こした。

 中国は効率的に統治するため、隋・唐の時代に「科挙制度」を設ける(詳しくは本書で確認してほしい)。早い話が官僚制度を設けたわけだが、この制度によって治める者と治められる者にはっきりと分断され、格差ができた。今でこそ科挙制度はないが、その土台は受け継がれて、格差は依然として開いたままだ。

 なにより科挙制度は、効率的に統治する機能がある一方、国民に反乱の機会も与えてしまう。そのため中国はいつの時代も国民を取り締まることとなり、そればかりかアメリカとの覇権争いに勝ちたい中国は、国をひとつにまとめたい思惑も出てきた。その結果が、ウイグルやチベットなどの自治区に対する同化政策であり、香港のデモに対する激しい弾圧だ。

なぜ中国はあのような行動ができるのか?

 2013年に国家主席となった習近平は、アジア、アフリカ、ヨーロッパの陸路と海路をつないで、貿易を活発化させる「一帯一路」構想を発表した。この構想に参加を表明したのは約50カ国。ところがこの中には、鉄道や港湾などの施設が整っていない国もある。そこで中国はこれらの国に建設資金を融資する条件として、借金を中国に返済できない場合、作った港の運営権や使用権を中国に引き渡す約束をした。実際に資金回収がうまくいかなかったスリランカでは債務免除と引き替えに港湾の使用権を99年間認める契約を結び、諸外国から「借金漬け外交ではないか」と非難を浴びることとなった。だが、振り返ると中国にはアヘン戦争後に香港島や九龍半島を99年間イギリスに統治された歴史があり、この方法にならっているのではないか、と本書はいう。

 このように本書を通して近現代史を学べば、中国への理解を深めることができる。なにより、中国に対する見方がちょっと変わるはずだ。

文=いのうえゆきひろ