小島慶子さん「『絵になりにくい苦しみ』を伝えなければ」シングルマザーの回想記『メイドの手帖』に学ぶ、“個人の声を残すことの大切さ”

文芸・カルチャー

公開日:2021/2/7

メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語
『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(ステファニー・ランド:著、村井理子:訳/双葉社)

 書かれる可能性が、ほとんどなかった物語―。そんなキャッチフレーズの『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(ステファニー・ランド:著、村井理子:訳/双葉社)はアメリカだけでなく、日本国内でも注目を集めた回想記。本作には、低賃金で重労働なメイドという職に就きながらも尊厳を失わず、娘や自分の夢のために奮闘した著者の実体験が綴られている。著者は半生や感じてきた苦しみを書き記し、伝えることで社会の在り方に一石を投じたのだ。

 今はSNSなどを活用し、誰もが自分の想いや考えを簡単に叫べる1億総作家時代。そんな時代だからこそ、考えてみたいのが「当事者として声をあげること」の意味。そこで、翻訳を手掛けた村井理子さんやエッセイストほかマルチに活躍する小島慶子さん、そして自身の貧困記事が話題となったライター・ヒオカさんのオンライントークイベント(※)から、「自分の人生を書き記すこと」の価値を考えていきたい。

村井理子さん

「人生を書き記すこと」の意味とは?

 自分の人生を書き記し、誰かに伝えることは書き手にとって、とても意味のあること。例えば、このトークイベントにゲスト出演したヒオカさんは自身の経験してきた貧困について書いたnoteの記事を通し、多くの気づきを得た。

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ヒオカさん

 ヒオカさんはそれまで自分の境遇を特別だとは思ってはいなかったが、コロナ禍での不十分な経済政策を目にし、似た境遇の人が「ないもの」として扱われないために筆を執った。日本の貧困は衣食住に困る絶対的貧困ではなく相対的貧困であるため理解されにくい。記事に寄せられた反応も様々で、中には「貧困ではない」と決めつける批判コメントもあり、心が傷つきもしたそうだ。

 しかし、「一方で、驚くほど多くの方が記事を読んでくれ、コメントをくれたり、執筆やイベント登壇などの仕事にも繋がったりした。記事を書かなければ生まれなかった多くの縁もできた。何より、何も持たない自分が、声を上げることで、新たな視点や問題意識を与えることができる。そうやって間接的に社会を変えていける可能性を感じることができた。そして何より、自分のように何も持たない人でも声をあげれば間接的に社会を変えていけるのだという事実が心に刺さった」という。

 こうした声は書き手だけでなく、私たち聞き手にとっても重要なもの。当事者の感情や想いは自分が持っている知識や情報に表情を持たせてくれ、社会問題を自分事として考えるきっかけとなるからだ。

 例えば、本作も著者が自身の恋愛や家族仲まで赤裸々に告白し、その上で困窮者が置かれている厳しい現状を訴えているからこそ、心動かされる。思いがしっかりと乗った彼女の半生が胸に刺さり、理不尽な社会の仕組みを見てみぬふりしたくないと思わされるのだ。

 翻訳を手掛けた村井さんも、当事者の声を聞くことの大切さをひしひしと感じた出来事があった。それは不仲で疎遠だった兄が突然死し、遺体を引き取りに行った時のこと。初めて兄が生活保護を受けるほど困窮していたことを知り、衝撃を受けた。さらに、兄の死を通じて、自分の中にスティグマや先入観があったことにも気づき、当事者の声に耳を傾けることの大切さを改めて痛感したという。

 自らの人生を書き記すことは勇気がいるし、誰かの声をしっかりと受け止めるには覚悟が必要だからためらってしまう。だが、自分を奮い立たせ、互いに一歩踏み出せたら私たちはもっと人間らしく繋がり合えるはず。人生を書き記すことは、不自由で不平等な社会を変える第一歩になるのだ。

バズが重視されやすい今こそ「絵になりにくい苦しみ」にスポットを

小島慶子さん

 SNSが盛んな今は、バズることに重きを置いた制作物が溢れている。センセーショナルな見出しで注目を集めようという思いが作品から透けて見えることも多い。だが、そんな時代だからこそ、「絵になりにくい苦しみ」を伝えていかねばならないと小島さんは指摘する。

 目を引くネタはたしかに多くの人に届きやすいが、事実が歪曲されていたり、新たな苦しみが生み出されたりするのならば虚しい。貧困にしてみてもメディアは一番深刻な部分を映し出し、興味を引こうとするが、それによって各々が思い描く貧困像が固定化されると、相対的貧困のように「絵になりにくい苦しみ」はより理解されにくくなる。過度な演出による弊害は、貧困問題以外にも言えることだ。

 こんな負のサイクルを断ち切るには各々が発し方を考えて、声をあげていくことが大切。例えば、村井さんは翻訳する際に話が独り歩きしないよう、自身を俯瞰することを意識しており、小島さんも自らが誇張せずに個の実感を綴ることが、読者の個別のストーリーを肯定することにもなるのではないかと感じているという。筆者自身も、自分や誰かの苦しみを「なかったこと」にしないためにも自分なりの流儀を持ち、声をあげていきたいと思った。

 また、こうした声を受け止める時にも流儀が必要だ。私たちは、これまで触れたことがない当事者体験を見聞きすると、辛辣な言葉を浴びせてしまうことも多い。だが、いつか自分自身もその状況に置かれる可能性があることに気づけたら、受け止め方が変わるのではないだろうか。

 今回のトークイベントで特に印象的だったのが、ヒオカさんの「弱者と強者は入れ替わる」という言葉。強者でマジョリティだと思っていても、住環境や経済状況・健康状態に変化があれば、誰だって弱者になり得る。その事実に気づくことができたら、他者の苦しみをより自分事として捉えられるようになり、社会を見る目も変わるだろう。

 今の日本は多様化が叫ばれる一方で、自分とは違った境遇や思考の人を批判することが当たり前になっている。だが、本作のように、必要としている誰かにいつか届くことを願って放たれた声は、他者の価値観や社会の仕組みを変える可能性を秘めている貴重なもの。なかったことにしたり、簡単な言葉で片づけたりしていいものではない。

 ネットによって私たちは豊かになったが、その分、心の分断が進んでしまった。こんな時代だからこそ、叫ばれた声をひとりひとりが真摯に受け止め、想像力を養っていきたい。それは心の分断を止めるカギとなり、どんな人にも居場所がある社会をつくるための近道にもなるだろう。

 声をあげることの意味と、叫ばれたSOSの受け止め方の両方を考えたくなる本作は、コロナ禍で誰もが突然、弱者になる可能性が高い今こそ手に取ってほしい作品。著者の叫びから私たちは、社会問題を他人事として片づけないことの大切さを学ぶ。

文=古川諭香

(※)11月11日(金)にオンライン開催された「書くこと、声を残すこと——『なかったこと』にしないために」【SPBS THE SCHOOL】シングルマザーの現実が記された『メイドの手帖』を語り尽くす3夜より

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