70歳を目前に、飛び込んだ未知の世界。新たな挑戦への後押しとなった出来事とは…/介護施設で本当にあったとても素敵な話①
公開日:2021/2/13
もはや、介護は誰にとっても他人事ではない時代。著者で医師の川村隆枝さんが実際に見た介護施設は姥捨て山ではなく、入居者にとって“楽園”のような場所でした。「自分の親を施設に入れて大丈夫?」そんな心配を持つ人々に教えたい、介護施設で本当にあった心温まるエピソードの数々。その一部をご紹介します。
プロローグ
最近、私は愛犬ポロとよく散歩に出かけるようになりました。
実は、運動療法です。先日、健康診断に引っかかったからです。
もう七〇歳ですから、元気だといってもどこか身体に不具合は生じます。だからといって、ぼんやりとするつもりはない私です。
昨年の三月までは、国立病院機構仙台医療センターの手術室を預かる責任者でした。その職を終えた私は、次のステージに、それまで突き詰めてきた麻酔科とは全く異なる環境を選びました。
七〇歳を間近にして、未経験の分野にチャレンジ、つまり、よちよち歩きの赤ん坊に戻ることにしたのです。
今の私の仕事は、介護老人保健施設たきざわ(以下、老健たきざわ)の施設長です。
七〇歳にして飛び込む別世界。私一人であれば、二の足を踏んでいたかもしれません。私の背中を押してくれたのは、今は亡き、夫の川村圭一でした。
二〇一三年、彼は脳出血と脳梗塞を発症して左半身麻痺になり、寝たきりに近い車椅子生活を余儀なくされました。
自宅、介護施設、病院、そしてまた介護施設。彼の身体に変化が訪れる度に環境を変えながら、私たちの闘病生活が五年目を迎えた二〇一八年一一月。身体の芯に染み込んでくるような寒さを感じた早朝、何の前触れもなく、彼は旅立っていきました。
その前日の夜、いつもように私の携帯電話には彼からの連絡が入りました。話したのは、ホノルルマラソンに二度目の挑戦を決めた友人のことです。
「応援に行く。切符は取れているよな?」
「今、お願いしてるところ。ホテルは予約したけど、飛行機がキャンセル待ち。車椅子専用の席がいっぱいで」
「そうか……」
「まだ分からないわよ。もし取れなかったら、来年ね。一カ月でも二カ月でも二人でゆっくり行きましょう」
「そうだな」
特別なことを話したわけではありませんでした。でも、それが最後の会話になりました。
独りぼっちになった私には、いろんな出来事が後悔と一緒に湧き上がってきました。彼の表情や言葉、雰囲気から何か気づけなかったのか。施設のスタッフはもう少し早く彼の変化が分からなかったのか。
どうしようもない後悔が心の中で空回りしていきます。
糖尿病で腎機能が低下していた彼の状態が落ち着いたのを見計らって、私の故郷・島根県出雲で暮らす母に週末を使い、会いに行ったのも後悔しました。
彼は快く送り出してくれましたが、それが二人で過ごせたはずの最後の週末になってしまったからです。
そんな私を救ってくれたのが、部下の鈴木朋子医師の言葉です。
「最後に夫として、男として、優しさを示されたのではないでしょうか。先生は、悲しむより感謝をされたほうがいいのでは?」
その言葉が胸にすーっと入ってきた瞬間、少し前を向けた気がします。
強い味方だった夫はこの世から解き放たれましたが、私はまだ、この世界の中で生きています。
だから、私は、介護施設の施設長という新たな場所に、自分一人で足を踏み入れることを決めました。
夫と同じように闘病生活を送る入所者はもちろん、私と同じように入所者を見守りながら様々な感情を抱いている家族に何かができれば、という思いからです。
施設長に就任後、介護についていろいろなことを学び、貴重な経験を重ねてきました。
知識や経験が増える度に思います。
もし、夫が生きているときにこの知識があればもっと適切な治療ができたのではないか。この経験があれば、もっと夫に寄り添った接し方ができたのではないか。
介護は誰も、他人事とはいえない時代になりました。
自分、または家族の〝もしも〟のときに予備知識があれば、よりいい対処法が見つけられるかもしれません。
そのために、施設長に就任して得たものに夫と過ごした五年の介護生活を含めながら、『介護』について私なりに考えたこと、感じたこと、気づいたことを書いてみたいと思います。
何か一つでも、みなさんが抱える介護の手助けになれば幸いです。