予期せぬ行動を取る入所者たち。わがままやイラ立ちに介護スタッフはどう向き合う?/介護施設で本当にあったとても素敵な話③

暮らし

公開日:2021/2/15

もはや、介護は誰にとっても他人事ではない時代。著者で医師の川村隆枝さんが実際に見た介護施設は姥捨て山ではなく、入居者にとって“楽園”のような場所でした。「自分の親を施設に入れて大丈夫?」そんな心配を持つ人々に教えたい、介護施設で本当にあった心温まるエピソードの数々。その一部をご紹介します。

70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話
『70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話』(川村隆枝/アスコム)

わがままも、イラ立ちも受け入れる

 介護施設には、さまざまな入所者が暮らしています。

 ときには、予期せぬ行動で私たちを驚かせることがあります。

 

 例えば、いきなり食事をしなくなった藍沢さん。

 スタッフからは、ときおり幻覚を見ているという報告を受けていましたが、食事を拒否するようになるとは予想もしていませんでした。

 

「飲み物は? 薬も飲まないの?」

 半ば諦めの表情を浮かべる桑原師長を見て、察しはつきました。

「じゃあ、点滴で水分補給だけでも」

「それもダメだと拒否しています」

 まるで駄々っ子です。

 だからといって、無理やり点滴をしたり、食事を摂ってもらうわけにはいきません。こういうときはしばらく様子を見るのがベスト。藍沢さんは、お茶を二〇〇㏄飲んだところで、点滴を受けつけてくれました。

「トイレから帰る途中に動けなくなって、自分でまずいと思ったらしいですよ」

 そんな彼女の姿を見逃さずに、「水分補給をしましょう」と、藍沢さんに声をかけたスタッフの手際のよさは見事でした。

 そのすぐ後でした。藍沢さんが私に話をしたいという連絡が入りました。

 今度は何をしようと考えているのかな。

 早速、部屋を訪れると、藍沢さんは申し訳なさそうな表情で話しかけてきました。

「すべて自分のわがままでした。だから、川村先生に謝ろうと思って。初めて会いますけど、本当にすみませんでした」

 

 実は藍沢さんと私は何度も顔を合わせています。でも、認知症で忘れてしまっているのです。だからといって、彼女の言葉を否定すると混乱するだけ。彼女は私と初めて会っていると思っているのですから、そのまま受け入れてあげることです。

「大丈夫ですよ、藍沢さん。はじめまして。施設長の川村です。また何かあればお話ししましょうね」

 これで、すべて丸く収まります。

 

 入所者が日々、何を思いながら暮らしているのか。何に安らぎを感じるのか。

 私たち介護施設の人間は、常に想像する必要があります。

 入所したばかりの頃の馬場さんは、いつも不機嫌でした。

 馬場さんは八四歳。認知症と診断されてから誤嚥性肺炎を繰り返し、老人性うつ病やパーキンソン病を発症し、自力で食事ができなくなったところで入所してきました。

 不機嫌だったのは、七五歳まで畑仕事ができたのに、思うように体が動かせないことに、イラ立っていたのかもしれません。

 

 馬場さんに近づいただけで、怒鳴り散らされたスタッフもいたようです。

 わかりやすい八つ当たりですね。

 だからといって、馬場さんのイラ立ちをそのままにしていると、スタッフがサポートをしづらいのはもちろん、馬場さん自身も楽しくないはずです。

 そこで桑原師長が入所前に手に入れた情報を使いました。

 

 老健たきざわでは、入所前には必ず、入所者のことを家族に聞くようにしています。

 そこで得た情報によると、自宅にいた頃の馬場さんの趣味は、歌と踊り。

「ここでも音楽を聴かせてあげたいですね」

「機嫌が悪くなったら、音楽で落ち着くかもしれません」

 そんな話を聞いていたので、入所するときに、馬場さんお気に入りの曲を用意してもらっていました。

 結果は、家族の言う通り。

 大好きな曲が流れ始めると、馬場さんは気分が落ち着いたようで、怒鳴り散らすことは少なくなっていきました。

ときには人生の先輩に癒されたい

 私たちが、入所者に癒されることもあります。

 その日、回診を終えた私がナースステーションに顔を出すと、入所者の倉田さんが、椅子に座って一心にぬり絵を楽しんでいました。

 その姿は何だか懐かしく、微笑ましいものがあります。

 ぬり絵は自分のペースで取り組めて、手軽に始められるので高齢者のレクリエーションの一つとして推奨されています。

 指先を使うので脳が刺激されるだけではなく、ぬり絵の題材には春、夏、秋、冬の季節感を感じられるものがあり、屋外に出られない入所者にとって気分転換にもなるからです。

 

「お上手ですね」

 私は倉田さんに声をかけてみました。でも、返事はありません。

「倉田さんは耳が遠いんです。川村施設長、もう少し大きな声で」

 スタッフのアドバイスに従って、もう一度大きな声で。

「お上手! お花の色がとてもきれい!」

 しばらくの静寂の後、倉田さんは顔を上げて、ニコッと笑ってくれました。

 私の大好きだった祖母に似た、とても上品で優しい笑顔。子どもの頃に、私がぬり絵で遊んでいるのを見守ってくれていた祖母のことを思い出しました。

 その日から私は、倉田さんのことを『ぬり絵のきみ』と呼ぶようになりました。

 私は、入所者が口ずさむ歌にも癒されています。

 歌っているのは多くが女性で、ジャンルは童謡、子守唄、昔の歌謡曲。なぜ、童謡や子守歌が多いのか、私なりに考えてみました。

 乳幼児にとっての子守歌は、音と肉体的刺激によって文化的なものを取り入れる重要な経験であることが分かっています。母親の腕や背中に抱かれながら伝わる、子守唄の心地いいリズムと歌声が、子どもの心を育てるのでしょう。

 子守唄を口ずさむ入所者は、その頃のことを思い出しているのかもしれません。口ずさんでいる人たちは、おそらく幼い頃に母の愛をしっかりと感じ取った幸せな人なのでしょう。

 

 ところが、私の故郷、島根県の出雲に帰省したとき、義妹に、「年をとると子どもに返るって本当だね」と施設での子守唄の話をしたら、ピシャリと否定されました。

「それって仕事やしがらみから解放されて、本当に好きなことをしている感覚で歌を口ずさんでいるんじゃないですか。子どもに返るというより、子ども心を取り戻しているというか。

70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話

 そういう人を子ども扱いする人がいるでしょ。どうかと思うんですよね」

 その通りだった。

 私も、高齢者に対して、まるで幼児に話しかけるように話す人は失礼だとかねがね思っていたからです。長く社会に貢献してきた人に対して無礼極まりないと。そういえば、うちの施設で、「自分の孫でもない人に、おばあちゃんと呼ばれる筋合いはない」と憤慨した方もいましたね。私も賛成です。

 今どんな病気や障害を抱えていても、何年、いや何十年も人生の先輩ですからね。

<第4回に続く>