人生空回りばかり…ため息をつくミチコの前に現れた、怪しげな屋台。暖簾をくぐると、そこにはいたのは⁉/悪魔の夜鳴きそば②
公開日:2021/2/20
主人公の満内(みちない)ミチコ、通称「みっちゃん」は、27歳。駆け出しのホテルマンとして奮闘する毎日だけれど、努力が空回りして落ち込んでばかり。そんなある日、夜道に現れた、奇妙な屋台に引き寄せられ――。百戦錬磨の屋台店主「もちぎママ」が贈る「共感度200%」の感動ストーリー。
「だからさぁ、言ったでしょう。『あなた今日大丈夫?』って」
今日も上司の嫌味たらしい叱責が飛んでくる。
その日はなんだかついてない日だった。
ルームサービスに向かう途中、ドジって壁にぶつかってしまい、シャンパングラスを1つ割り、サーブしようとした料理のソースを盛大にこぼした。おかげで宿泊者が指定した時間どおりに料理が提供できず、迷惑をかけてしまった。
インバウンドで来ていたそのお客さまは、必死に頭を下げる私を見て、
「お嬢さんに怪我がなかったのなら、いいんですよ」
と、優しく気遣ってくれた。
だけど、ひねくれた私には、27歳にもなる自分がお嬢さんだなんて気恥ずかしく感じた。
それだけ私は、落ち着きも貫禄もない、そして頼りない風体ということなんだろう。
「今日もまた新人みたいなミスしちゃって、ほんと呆れるわ」
「はい……。気をつけます」
「返事だけはいいんだから」
上司は大きくため息をつく。
「あなた、出勤した時から覇気がなかったのよね。職場に着くやいきなり今日の退勤時間までカウントダウンしてるみたいな、やる気のないアルバイトみたいだったわ。わかる? 帰りたいって顔してたの」
「してました? 私が?」
「してたわよ。いちいち人の言うことに反論しないの。してたから言うんでしょうが」
ここは虎ノ門付近にある高級外資系ホテルのレストラン、のバックルーム。
私はここでルームサービス担当のホテルマンとして働いている。
上司はパソコンでサーブの予定を見ながら、こちらに目もくれずにネチネチと叱責だけを漏らしていた。
「あなたもうここに来て4年目でしょう? いつまで新人みたいなことしてんのかしら。そろそろシャッキリしないと後輩の子たちに抜かされるわよ、ほんと」
そう言って彼は首を動かす。視線の先にはパントリーの仕事を手伝う私の後輩がいた。
「みっちゃん先輩、今日も怒られてましたね。どんまいです」
上司の嫌味をひとしきり聞いた後、私は後輩と一緒にナプキンをたたみながらルームサービスの注文を待つ。
「うん、まぁ慣れっこ」
「いや、慣れちゃダメっしょ」
後輩は私を心配しつつも、テキパキと手を動かしている。私はそれをボーッと見ていた。
愛想がよく、仕事もできてまわりに認められ、しかも年下で後輩。
そんな君に慰められても、私がますますみじめになるだけで悲しいよ、なんて言えない。
「今日、まかない食べていきます? シェフがパスタ茹でるって言ってましたよ。あと予約キャンセル分のケータリングのスイーツもありますし。豪勢に食べてから上がりましょうよ」
「ううん。私は……なんか食欲出ないし、いいや」
慎ましくそう伝えるが、ほんとはこの職場では、明るい気分にも食事する気分にもなれないからだった。仕事もできないくせに一丁前に食べるやつだとみんなから思われそうな気がして、怖かった。
「私の分も食べていいよ。若いんだからいっぱい食べな」
と後輩に言い渡す。
「いや、自分、みっちゃん先輩と3歳しか変わらないですし」
後輩はケラケラ笑う。私は先輩ヅラしても笑われてしまう自分が情けなくなった。
なにをするにも必死で余裕がなくて、なのにいつも抜けていて仕事もミスするし、上司にはお前はやる気がないって決めつけられる。
みんなにきちんとしてると思われたいのに、後輩にすらどこか薄っすらナメられる子どものような27歳。それが私。
人々を笑顔にする仕事をしてるはずなのに、お客さまには苦笑いされ、同僚には嘲笑される。
ああ、ほんと人生空回りばかり。
いいことがあって調子に乗っていると、すぐに失敗して自分の無能さ加減に嫌気が差す。
そのくり返しで、もう自信も気力も湧いてこない。
みっちゃん先輩こと、私、満内ミチコ。
悲観主義の、たぶんちょっとできないほうの普通の社会人だ。
どうして意地を張って食べないと言ってしまったんだろう。
まかないを食べずに退勤してしまったので、夜道を歩く私のお腹は切なく絞められていた。
虎ノ門を彩る灯りは、オフィスや私に縁のないレストランばかり。
高級レストランを併設するシティホテルで働いてるのに、プライベートでそんな高価なものを食べることができないだなんて、まるでチョコレートの味を知らないカカオ農家の人みたいだ。
いや……私の場合、シェフがつくる料理をまかないで食べさせてもらうこともあるので、実際にはその味を知っているのだけれど、入社したころほどの感激を、もう私は思い出せないのだ。
味に慣れてしまったのではなく、きっと料理の味に専念できるほど、無邪気で純粋じゃなくなってしまったから。
大人になってからはずっとどんなときでも、夏休みが終わる1週間前なのに宿題をやっていないような、嫌なことや問題を先延ばしてきた焦りと、ちょっぴり泣きそうなくらいの不安を抱えて生きている心地がする。
焦燥感と倦怠感。
がんばりたいし、がんばらなきゃならないのに、どうせ無理だと思ってしまって体が動かない。
苦境や現実をじっと耐えているだけ。
現状を変えようとはせず、文句ばかり言っている私は、まるでまだ子どもみたいだ。
まわりの元同級生や同年代の友だちには、子どもを授かって育てている子もちらほら現れ始めているというのに、私はいったい、いつになれば自分以外の面倒を見られる大人になるのか、まったく見当もつかない。
歳を取ったのはカラダだけ。
気持ちが追いつかないうちに大人という生き物になってしまった私は、いつまでも新人気分だと上司に怒られているのも納得かもしれない。
「はぁ〜〜……」
少し大げさにため息をつく。
そして今日も相変わらずついていない日。
私は下を見ながら、いつも歩く駅への道をとぼとぼと進んだ。
そのとき、なぜ今まで聞こえていなかったのだろう、と思うくらいの滑稽な音が耳に響いてきた。
♫ももも〜もも、もももも〜も〜
チャルメラの音、だけどすごく奇妙な。
多分、男性の声だ。
私は頭を上げる。
東京タワーの真っ赤なライトアップを背に、湯気の柱が1本立ち上っている。
その麓には、昔懐かしい木材でできた屋台が1軒、いつの間にか停まっていた。
「屋台そばだ」
私はつい独り言を漏らす。
フワッと秋風が吹き込んで、その香りが私の鼻腔をくすぐった。
おいしそうな醤油ラーメンの匂いだった。
普段ならきっと、目もくれずに通り過ぎるだろう。
だけど、私の足は店に向かっていた。
滅多に見ない屋台そばという場所が、今のささくれだった私にはまるで給水所のように見えたのだ。